1960年代末から1970年代にかけて、日本では「プログレッシブ・ロック」が大ブームになった。当時、中学生だったKADOKAWAエグゼクティブプロデューサーの馬庭教二さんは「初めて聞いたときの衝撃は忘れられない」と振り返る――。
※本稿は、馬庭教二『1970年代のプログレ 5大バンドの素晴らしき世界』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。
級友が持ってきた一枚のLPレコード
私が初めてプログレを聴いたのがいつだったか、正確な日付は思い出せないが、1973年の4月だったことは間違いない。その時私は、山陰の小都市に住む中学二年生だった。中二のクラス替えで急速に仲良くなった友人Nが、ゴールデンウィークの始まったある日、我が家に一枚のレコードを持ってきたのである。
「おまえ、イエスって知っとるか」
「?」
イエス・キリストのことでないことだけはわかった。
「まあ、聴いてみろ。今、一番注目されているイエスの、一番新しいアルバムだ。イギリスのグループで、プログレッシヴ・ロックっちゅうらしい」
Nは自信満々の面持ちで、カメレオンのように鮮やかな緑色のアルバムを取り出した。
イエス、プログレッシヴ・ロック……。何のことやらわけがわからない。単純極まりないバンド名も、プロなんとかという言葉もそれまでに知っていた音楽の世界のものとはどうも印象が異なる。当時の私は、深夜ラジオのヒットチャート番組を通し、「洋楽」というものを真剣に聴き始めたころだった。今、思い出せるのは、それまで出会ったことのない何かと出会えそうな予感がしたことだ。
そのあとの20分が、今日に至るプログレ人生の始まりとなった。