ワンオペ育児・家事・介護「母はついに娘の名前がわからなくなった」

2018年ごろになると、母親は言語能力が急速に低下し、松野さんの名前がわからなくなるだけでなく、うまく言葉が出なくなった。それでも母親は、時々トイレを失敗して松野さんに下着やズボンを取り替えてもらうときには、「ごめんね」「ありがとう」と口にした。

16時半に仕事が終わると、17時には帰宅し、デイサービスから帰ってきた母親を迎え、食事の支度などの家事に追われる。母親のお風呂はいつも2人で一緒に入り、入浴介助した。

松野さんの唯一の趣味である市の陸上クラブの活動は、週に1回、21時までだ。陸上する日は、母親がデイサービスから帰ってきて松野さんが帰宅するまでの間、結婚して近くに家族と暮らしている妹に来てもらい、母親の世話はヘルパーに頼んでいる。

松野さんの3歳下の妹は、子どもの頃からメンタルが弱かった。10代の頃には、恋愛関係の悩みからうつ病を発症し、しばらく部屋に引きこもり、自殺未遂までしたこともあった。その後、妹は20代で結婚したが、産後うつになり、子育ても家事もできなくなってしまう。そのため、見かねた母親が助け舟を出し、妹家族は妹の症状が落ち着くまで、4年ほど実家に身を寄せていた。

「正直に言えば、妹に対しては、母親の介護をすべて私に任せきりでずるいなと思う気持ちはあります。でも、精神的に脆い妹に母の介護は耐えられないでしょう。だから、私が看るしかありません。妹もそれをわかっているのか、姉がプロだから任せとけばいいという感じなのか、手を出さないけれど口も出さないので、それだけは助かっています」

単身赴任中の夫がコロナ感染、母親は目の前で失禁・大便

2020年に入ってしばらくすると、単身赴任中の夫が「調子が悪い」と言う。夫は月に2回ほど家に帰ってきていたが、世の中はコロナ禍。体調を崩している夫は、帰宅を控え、単身赴任先でひとり自宅療養していた。

2、3日様子を見ていたが、夫の病状は悪化する一方。電話で聞く症状から、松野さんはコロナを疑い、夫が単身赴任している市の保健所や大きな病院などに問い合わせ、PCR検査をしてもらえるよう相談。すると、夫が自宅療養を始めて10日ほど経った頃、ようやくPCR検査をしてくれることになった。

案の定、検査の結果は陽性。幸い病床に空きがあったため即入院することができ、レントゲンを撮ると肺は真っ白。医師は「もう少し遅かったら、命が危なかった」と言った。

「実は、私たち夫婦の仲は、完全に冷え切っていました。夫は精神的に調子が悪くないときでもモラハラ的な発言が増え、私のことを見下した態度で接するようになっていたのです。だから6年前に夫が単身赴任することになり、私は内心喜んでいました。でも、私が保健所に問い合わせるなど尽力したおかげで、自分の命が助かったと思ったのか、コロナから回復してからは、夫の私への接し方が変わったように感じます」

自由に飛ぶ鳥に向かって手を伸ばす女性
写真=iStock.com/ipopba
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7月になると、母親はますます足腰が弱くなり、介護はたちまち重労働になった。トイレに連れて行ってもズボンの上げ下ろしさえ自分でできず、失禁や大便を漏らしてしまうことも一度や二度ではなかった。食事も食べさせなければ全くできず、すべてにおいて介助が必要になり、介護度は要介護4に。デイサービスの送迎車に乗り降りすることも難しくなってきていた。

しかし、母親がデイサービスに行ってくれないと、松野さんは仕事に行けない。困った松野さんは、母親が認知症で通院している病院の主治医に相談。すると、「ちょうど今、病室に空きが出たのですが、入院されますか?」と提案があった。そこは介護度の高い認知症患者を預かる認知症の専門病院で、特養が決まるまで置いてくれた。