「変わった仕事は小寺に回せ」

【田中】小寺社長の経営者としての勇気の原点を探りたいと思います。まずトヨタ自動車における略歴をお聞かせいただけますか。

KINTOの小寺信也社長
KINTOの小寺信也社長

【小寺】私は昭和59年の入社です。自販と自工の合併が57年なので、トヨタ自動車二期生ですね。そこからずっと営業部門が多くて。企画系の仕事をほぼ一貫してやってきました。部長になる手前ぐらいから、「変わった仕事は小寺に回せ」という見方をされるようになって、短期のプロジェクトを転々とする仕事ぶりを10年ぐらいしていました。

【田中】なぜ変わった仕事が小寺さんのところに?

【小寺】人間がちょっと変わってるからということかと。実は私は小難しいことが得意で、簡単なことが下手。ゴルフでも、木の下からのリカバリーショットはうまく打つのですが、フェアウェイから打つとシャンクして横にボールが飛んでいってしまう。仕事ぶりもそのような感じなので、会社はそういう私の性質を活かしてやろうとしたのだと思います。

【田中】トヨタがテスラと一緒にやったプロジェクトもご担当されたとか。小寺社長はテスラをどのように評価されてますか。

【小寺】今は経営陣がほぼ入れ替わっているのでわかりませんが、当時はすごく意欲的な会社でしたね。雰囲気は昭和の高度成長期の日本の会社で、みなさんパッションを持ってめちゃくちゃ働いていました。経営陣と飲みに行くと、「最近の若い奴らは面白くない。誘っても飲みにこない」。シリコンバレーの人たちがこんなこと言うんだって驚きました。

【田中】イーロン・マスク自身もハードワーカーで有名です。やはりハードワークも時によっては必要なのでしょう。そうしたご経歴の中で、今回のKINTO立ち上げにつながる勇気や情熱をどうやって培われていったのですか。

【小寺】あまり思い当たることがないんです。私自身は、トヨタ自動車に育ててもらったという思いが強い。短期のプロジェクトを数多くやる中で身につけたものを、今全部使ってビジネスをしているといったところです。

KINTOの社名から「トヨタ」を外した理由

【田中】今後の展開を教えてください。

KINTO
画像提供=KINTO

【小寺】KINTOは若い人を中心に一定層の支持を受けるようになりましたが、まだボリュームは小さい。トヨタのビジネスのマジョリティの中には入りこめていないので、これから長い戦いが続きます。

ボリュームを増やすために必要なのは、お客様に意識を変えていただくこと。車は買うものだと思っている方がほとんどなので、そうではない車の持ち方があることをわれわれがうまく伝えていかなければいけません。最初は販売店の店頭でお客様にご説明するとき、内容を理解していただくのに30分かかりました。いまは少し浸透して、10~15分で身を乗り出してくれるようになった。プロモーションのやり方に加えて、商品を魅力的なものにつくりこんで、さらに魅力を伝えていきます。

【田中】利用可能な車種がすごく増えてますよね。もともと5車種で始まったのが、2020年1月に31車種になり、レクサスまでラインアップに加わりました。対象車種の拡大は魅力づくりに貢献していると思いますが、今後、トヨタ以外の車を加えることもあるのでしょうか。

【小寺】メディアの方には「はい、その通りです」と言っています。社名がトヨタKINTOではないのも、そのような狙いがあるから。豊田からも「トヨタの名前をつけるんじゃないよ」と厳命されました。