幸福な未来を描くことのできない若者たち

金銭的な余裕によって生まれていた自分たちの行く末に広がっていた楽しげな光景が瓦解がかいし、たどり着いた場所にはあの光景がなく、ただむき出しのむなしい現実に包まれたときに、人は「漠然とした不安」を抱くのだろう。

新型コロナの騒ぎは収束しては再流行を繰り返している。そうした行政の無策の中で、若者たちは自分たちの幸福な行く末を描くことのできない状況に追い込まれているのではないか。

それまでに停滞していない人生を送ってきた若者にとって、そしてそれは80年代という経済成長の時に、順風満帆な思春期を過ごした僕たち就職氷河期世代にとっても、その苦痛は耐えがたいのである。

では、そうした「漠然とした不安」を解消する手段はないだろうか。

もう一度自殺の話に戻りたい。

先に記したとおり、僕が不思議に思っているのは飲食店主の自殺者数が減っていることだ。

飲食店主は新型コロナで大幅な営業制限を受け、大変なことになっていると思っていた。しかし、自殺までに至った人は昨年よりも減った。つまりコロナ禍が苦悩につながっていないのである。

政府の経済的支援で自殺者は減らせる

そこで思い出したのが1日に6万円が支給される「時短営業協力金」の存在である。

繁華街の、本来であれば飲み客でごった返す、大規模なお店からすれば「1日6万円なんてはした金」かもしれないが、世の中には1日数万の利益しか出ないような、商売の規模が小さい店も多い。

特に繁華街から離れた自宅を兼ね、地元の人しか相手にしていないような店にとっては、まさにぬれ手であわの「協力金バブル」である。

それを「不公平だ」と不満を言う人も多い。普段稼げてない店が、コロナに乗じてもうけるのはおかしいのではないかと。

しかし、それはつまり、本来であれば売り上げが伸びずに、ひたすらキツい状況に追い込まれていた小さな商いの飲食店が、時短営業協力金をはじめとする行政から出てきたさまざまな支援策という名前の社会保障を受け取ったことで、一時的であれ、経済的な問題からは逃れることができたということである。

今後はどうなるかは分からないが、少なくとも20年という1年間において、飲食店主の自殺者が減ったのは行政が飲食業に対してお金をいろいろと出したからである。

要は、行政がちゃんとした再分配を行うことで、自殺者数はそれなりに減らせるのである。