30回以上繰り返された「冷水シャワー」の虐待

一応、高校にあっては中堅進学校に進学した後も、この“虐待”は続いた。

私の進学した高校は上位5%程度が北大に進学するが、私は基本的に落第生で、成績は芳しくなかった。これに激昂した私の両親は、毎日、毎晩のごとく「私が勉強しないこと」を呪詛し、「お前(私)が北大に進学しないのなら、養育費を払う必要はない」と主張し、狡猾にも私の入浴中を見計らってガス栓を閉栓して冷水シャワーを浴びせることが少なく見積もっても三十数回以上という異様な虐待を行った。

さらに私の個室のドアを蝶番から撤去して、「24時間、勉強しているかどうか」をリビングから監視する“代用監獄”を創作したのみならず、思春期男子にしては最も恥ずかしい「自慰行為の後のティッシュ」をこれ見よがしにテーブルに陳列されたりした。ハッキリ言ってこれは性的虐待であり、異常者の心理行動である。

この時期において私は両親への尊敬とか“親孝行”という概念は完全になくなり、“いつ刺し違えても良い”という強い敵愾心を持つに至った。私の母は私が高校時代、累積にして約1~1年半の間、狭い札幌の3LDKのマンションで私の存在を無視し続け、ネグレクトを行った。

一方父は、こういった母の行動にお墨付きを与えるばかりか、毎晩のように「お前(私)に投資した教育費を返せ。お前(私)が北大に行かないなら投資が無駄になる」という異常な主張を臭い唾をまき散らして怒鳴り続けた。

高校1年の後半、ついにパニック障害を発病

この結果私は、精神が金属疲労のように疲弊し続け、高校1年の後半、つまり1998年の冬に重篤なパニック障害を発病するにいたる。両親からの虐待で、ついに私の精神が破断した瞬間であった。ちなみに私の父は、私がパニック発作の症状を幾ら訴えても「精神病院に行くのは、古谷家の家名を毀損きそんする」として保険証の貸与を拒否した(よって私は7年近く無治療だった)。嘘のような本当の話である。

結果、私は高卒時に両親の設計政策に沿う北大進学は偏差値的にかなわなかった。その代わり、関西圏にある知名度はそこそこ高い私立大学文学部に推薦合格した。学歴コンプレックスで骨の髄から歪んだ精神を保有している私の父は、この私立大学については辛うじて「寛恕」の気持ちがあり、よって私は晴れて2001年の4月から京都で大学生活をスタートさせた。

しかし彼らは、私の進学した私立大学を“北大の代替”として周囲に吹聴し、「西の早稲田」などと、早稲田大学にたいへん失礼な言動を取り続けた。私の両親が対話していたのは、徹頭徹尾私ではなく自らの劣等感であったのである。