妻と子供だけ自分の実家に「帰省」

当然、上洛して独り暮らしを始め“自由の空間”を手にした大学生時代、およびその卒業後、私は両親の異様なほどの「学歴コンプレックスから生じる虐待ともいえる人生の押しつけ」からは自由になった。根が怠惰にできている私はこの大学の学部を実に7年かかって卒業するが、その間、両親との通信は完全に疎遠なものになっていた。私は当時大阪に住んでいたが、飛行機代も馬鹿らしくなり帰省も全くしなかった。しかし34歳にして私が“授かり婚”をすると、その結婚式に私の両親を招待しないわけにはいかない。苦渋の決断の末、彼らにとっては“孫の顔”を見せた。

ここには一児の父親として極めて多大な懊悩があった。絶縁に近い疎遠状態になっている私の両親に、私の妻との間で授かった長男を面会させるべきかどうか。懊悩したが、最終的には許諾した。私と両親の関係がいかなるものであっても、息子には書類上関係はないからである。こうして、私自身は両親とは直接会わないが、妻と子供だけは両親の住む札幌市に遊びに行く、という奇妙な「帰省」関係が数年続いた。

事態が急変したのは、ごく最近である2019年のことである。芸能人が「パニック障害(および合併するうつ病等)」を次々にカミングアウトしだし、その告白に勇気づけらた私は、すでに居住地である千葉県から精神障害者手帳を交付されていたのであるが、その経緯を某ネット媒体で「私のパニック障害やうつ病の起因は青春時代における両親の加虐によるものである」という記事を寄稿したのである。

「虐待した覚えは一切ない」という衝撃の開き直り

私の両親はこの寄稿を読んで、俊敏に反応した。「(私の)精神状態の現状に対して、自分たちに責任があるのであれば直接話し合いたい」と回答を送ってきたのである。私はすわ、両親の加害に対しての反省の弁を期待し、千葉の自宅にまず妻を司会役として面談することを了承したのだ。

しかし私の淡い「両親の加虐に対する反省」は完全に裏切られた。私の両親は「総論としては(私の被害訴えを)認める部分もあるが、(私を虐待した)覚えは一切ない」と面前で開き直った。そればかりか、私が相続する約束となって彼らが購入した千葉県内の土地・家屋について「(我々=“私の両親”を公に批判するならば)即刻該物件から退去すること」と宣戦布告のような言辞を文章通告してきた。

ここに私の怒りは完全に怒髪天に達し、不可逆的に両親と絶縁することに至った。この経緯は、前出した拙著『毒親と絶縁する』(集英社)に詳述している。