給食向けの野菜がすべてキャンセルに

一方で、坂ノ途中に農作物を納入する提携先農家の中にはコロナ禍の影響を少なからず受けるところもあった。

出荷前の野菜
撮影=佐藤新也
出荷前の野菜(クリックで他の写真も表示)

「飲食店や地元の小中学校の給食向けに野菜を納品していたところは、緊急事態宣言の自粛要請と休校措置でたいへんだったと聞きます。そもそも給食向けの野菜は買取価格が低く、生産者も『地元の子供たちに自分たちが作った野菜を食べてほしい』というなかば地域貢献の気持ちで出荷しています。給食のメニューは事前に決まっているので欠品が許されず、農家にとってはプレッシャーも大きいんです。それがすべてキャンセルになって出荷できなくなったのは、本当につらいことだったと思います」

飲食店と契約していた多くの農家も、注文がストップするようになった。坂ノ途中ではそうした農家に「自分たちができるだけ柔軟に対応して買い取るので、余ったら連絡をください」と伝えている。

仮に想定外にホウレンソウを大量に仕入れることになっても、顧客に今週発送を予定していたタマネギを来週に回し、替わりにホウレンソウを箱に入れることで、廃棄せずに食べてもらうことができる。

自然環境に負担をかけないと生きていけないのか

そもそも小野氏が2009年に農業の分野で起業することを決めたのは、「環境への負担が小さいライフスタイルを広げていきたい」という思いからだった。

「幼少期の頃から、人間は肉や野菜を食べたり虫を踏んだりと生命を奪う存在だと感じていました」
撮影=佐藤新也
「幼少期の頃から、人間は肉や野菜を食べたり虫を踏んだりと生命を奪う存在だと感じていました」

「自分は教育を重視したりお金をかけたりはしない環境で育ち、高校時代はアルバイトをしまくっていたのですが、それがなかなかにきつくて、社会に出たくないな、何もしたいことがないなと思っていました」

将来の選択を少しでも先に送るため、小野氏は京都大学の総合人間学部に入学する。しかし大学時代も人生の目標はなかなか見つからず、5限の授業にも遅刻するような怠惰な生活を送りながら、たまにバックパックを担いで海外放浪する日々を過ごした。

転機となったのは、休学して6カ月半かけて上海からイスタンブールまで旅をしたことだ。

「ずっと陸路で旅をしていろんな生き方に触れる中で、見栄や虚飾みたいなのがどうでも良くなったんです」

代わりに心によみがえったのが、幼い頃から抱いていた「なんで人間って、こんなに自然環境に負担をかけなければ生きていけないのだろう?」という疑問だった。

「自分は幼稚園の頃から自然や生物が好きで、外を歩いているときには虫を踏まないように注意して歩くような子どもだったんです。環境に関する活動をしている人にも漠然と憧れを抱いていたことを旅の途中で思い出し、『人と自然の間をつないでいるのが農業だ。農業に関する事業をやってみよう』とそこで初めて思いつきました」