脱ゆとり教育で学力が向上したわけではない

さて、ここが面白いところなのですが、2012年のピザで、日本はかなり良い成績をあげているのです。3科目の平均点で、ゆとり導入前の2000年とほぼ同じ点数です(図表4-a)。

もう1つ面白いのは、2015年、2018年のピザテストに参加した世代は、脱ゆとり教育を受けてきた世代であるにもかかわらず、ゆとり教育をばっちり受けた世代(2012年のピザに参加)よりも点数が低いのです。

たしかに、その点数の違いはさほど大きくはありませんが、それでも脱ゆとり教育を受けてきた世代のほうが点数は低いのです。これはどうしたことでしょう? もし、ゆとり教育が学力を下げ、脱ゆとり教育が学力を上げるものであるなら、ピザテストの成績を示すグラフ(図表4-a)は、総受講時間数のグラフ(図表4-b)と同じような形になるはずです。

でも実際はそうなってはいません。もちろん、ピザの点数の経年的変化がどのくらい実態を反映しているか、という問題はあります。ピザは、世の中のほとんどの調査がそうであるように、全数調査ではありません。

つまり、15歳の子ども全員を対象として調査をしているわけではないのです。全数調査は労力的にも大変だしお金もかかるので、実際には一部の子どもをサンプルとして選んで調査を行っています。そうすると、調査結果は当然ながら、サンプルの選び方による誤差の影響を受けます。

だから、脱ゆとり教育を受けてきた世代のほうが、ゆとり教育を最も徹底的に受けた世代よりも本当に学力が低いかどうかは、実際には十分に吟味しないとわからないことです。

ですが、本書の議論では、そこが重要なのではありません。私たち著者は、「脱ゆとり教育を受けてきた世代のほうが、ゆとり教育を最も徹底的に受けた世代よりも学力が低いかどうか」を問題にしているのではありません。

ここで問題にしているのは、「ピザのデータを見る限りでは、ゆとり教育で学力が低下して、脱ゆとりによって学力が上向いたという結論は導くことができない」という点なのです。

ゆとりが必要だったのはむしろ大人

一般に、ゆとり教育が撤回された主因は、ピザなどで明らかになった日本の学力低下とされています。しかし、ピザデータをちゃんと見てみると、ゆとり教育が学力低下の原因であったと言うことはできないのです。

つまりデータは、「ゆとり教育は学力低下を招く」というような「わかりやすい物語」を支持しないのです。ですから、ここで主張したいのは、「わかりやすい物語を安易に信じてはいけない」ということです。「わかりやすい物語」を信じて教育政策や制度をいじっても、簡単に思い通りの結果が出ることはほとんどないのです。

『日本の教育はダメじゃない 国際比較データで問いなおす』(ちくま新書)
小松 光、ジェルミー・ラプリー『日本の教育はダメじゃない 国際比較データで問いなおす』(ちくま新書)

これは何も日本に限ったことではありません。アメリカでもオーストラリアでも、この20年、学力向上のための教育改革を数多く行ってきましたが、その結果はどうだったでしょうか?

アメリカのピザの成績はほぼ横ばいでしたし、オーストラリアに至っては一貫して低下しています。たぶん、教育やそれをとりまく社会というのは、私たちが考えるほど単純なものではないのです。私たちが肝に銘じるべきは、教育政策や制度をやたらといじりまわすのは危険だし、ほとんどの場合、無益だということなのです。

日本は子どもたちにゆとりを持たせて教育を良くしようとしてきましたが、実はゆとりが必要だったのは、子ども(だけ)ではなく、むしろ大人の方だったのかもしれません。大人がゆったりとした心をもって、教育や社会の複雑さに耐えることが、実は安定した教育政策のために必要なことかもしれません。

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