同一商圏に4店舗も出店していたコスモス薬品
2000年代初期に、コスモス薬品の店舗を訪問したことがある。
当時の宇野正晃社長(現会長)は、人口約4万人の宮崎県日南市に300坪型のドラッグストアを開店し、繁盛させていた。するとコスモス薬品は、すぐに同一商圏内に2号店を開店し、2店が集まることで商圏が広がり、2店ともに繁盛した。
さらに同一商圏に3号店を開店し、一店当たりの商圏人口を一万数千人にまで減少させた。「もうこれで終わりかな」と思っていたところ、その後、4号店も出店して驚いたことを今でも覚えている。とくに郊外型のドラッグストアは、商圏が重なるような高密度の「ドミナント出店」を徹底した。
日本型GMSのように、一店一店の売上高はそれほど大きくはなかったが、商圏内に大量出店した「店舗群」の市場占拠率を高めることを重視した。一店舗の売上高よりも店舗群の「地域内シェア率」に重きを置いたことが、驚くほどの大量出店を可能にしたといえよう。
現在、ドラッグストアの一店舗当たりの商圏人口は、平均1万人を切っている。一方、ドラッグストア勃興期に小売業の王様だったダイエーやイトーヨーカ堂などの「日本型 GMS」には、一店舗で100億円以上も売る繁盛店がいくつも存在していた。
後発の小商圏店舗に売上を奪われた総合スーパー
しかし、広域商圏の日本型GMSは、1店舗当たりの売上高は大きいが、商品カテゴリーごとの「商圏内の買物シェア率」は意外なくらい低かった。たとえば、当時の日本型GMSにおける「シャンプー」の商圏内シェア率を計算したことがあるが、わずか5%程度だった。
シェア率5%という意味は、商圏内に住む消費者100人のうち5人しか、そのGMSでシャンプーを買わないという意味である。薄いシェア率を広域商圏からかき集めて、大きな売上高を実現している繁盛店は、主に「近くて便利」という理由で、後から出てきた小商圏店舗に売上を奪われることになる。
これは日米に共通する業態の栄枯盛衰の歴史でもある。
ドラッグストアは、日本型GMSや総合ディスカウントストアのような大商圏の繁盛店を取り囲むようにドミナント出店し、カテゴリー単位で薄皮を剥がすように繁盛店の売上高を奪っていったのだ。
ここまで見てきたように、日本のドラッグストア企業の大半は、薬局・薬店からの転身組である。つまり、もともとは商店の個人経営であり、莫大な資本があったわけではなかった。では、零細資本でありながら、大量出店できたのはなぜなのだろうか。
もっとも大きな理由は、「商品在庫日数(商品が現金に換わる日数)」と「支払いサイト(取引先に仕入れ代金を支払う平均日数)」の差である「販売キャッシュフロー(回転差資金)」を最大限に活用したことだ。