性別の表現を省いた理由

——4編とも「男」「女」という言葉を使わず、口調も性別を特定しないような感じに書かれていますね。

【山崎】小説というものは、キャラクターがなくても面白がらせることができるのではないかと思っていて、キャラクターにこだわらない書き方をしたいとは、結構前から漠然と考えていました。目に見えるように書くより、小説ならではの人間の肌触りみたいなものが出たほうが面白いと思うのです。

もう1つの理由は、日本語は主語に性別を入れる必要がないということ。英語だとHeやSheを入れなくてはいけないし、世界にはそういう言語が他にもたくさんあるけれど、日本語は性別や主語を書かなくても文章を成り立たせることができる珍しい言語です。その特性を生かして、主語で「彼」や「彼女」を全部なくし、性別を表現することなく、今後は全部の作品を書いていきたいと思っています。

新聞を読んでいると、必ず性別と年齢が書いてあります。でも人間は性別や年齢で表される存在ではないはず。国籍もそうですよね。性別と年齢を知れば、その人のことを分かった気になってしまう。すごく危険なことだと思うので、性別は書かないようにしたいと思うようになりました。

「子育て中」でも「主婦」でも“社会人”

——出産されてすぐの頃に、ツイッターで「『育児の人』と思われて、もう『文学の人』だと思われないことがつらくてたまらない」とつぶやかれていたことが印象に残っています。『肉体のジェンダーを笑うな』を読んで、子育てをしながら悩まれていたことを、文学の中で表現することで折り合いをつけられたのかなと思いました。

【山崎】どんな仕事でも、「自分がやっていることは、社会に響いているのだろうか?」と考えることがあると思います。育休や産休で立ち止まったり、保育園に落ちたりすると、自分は社会参加できているのかと不安になり、「社会欲」みたいなものが湧いてきて、どうしたらいいのか悩んでしまう。

だけど最近は、育児や家事も社会参加なのではないかと思うようになり、「育児も文学だ」というふうに考え方を転換してやっていきたいと考えるようになりました。

どんな職業でも、育児をしながら考えたことが仕事に生きたり、家事をしていることで「風が吹けば桶屋がもうかる」的にまわりまわって社会がよくなることが起きたりもする。「育児や家事は社会参加ではない」という空気を変えていきたいです。