人との出会いと学びを「糧」とせよ
私がヤクルトの監督になった年に入ってきた古田敦也もそうだ。彼が球史に名を残すキャッチャーとなることができたのは、私が徹底的に英才教育を施したことが大きいと自負している。阪神で抜擢した矢野燿大(現・阪神監督)、楽天に入団してきた嶋基宏(現・東京ヤクルトスワローズ)も、私と出会ったことでキャッチャーとして、野球選手として成長した部分は少なくないはずだ。
宮本慎也は、私が彼の守備力と野球頭脳を買い、バッティングには目をつぶって起用したから名球会に名を連ねるまでの選手となったし、侍ジャパンの監督となった稲葉篤紀は、たまたま大学時代に私が目にして、ドラフト指名候補名簿になかったにもかかわらず獲得した選手である。
39歳にして二冠王となった山﨑武司は、本人みずからが「野村監督のおかげで野球観が変わった」といってくれている。あの新庄剛志ですら、自著のなかで「野村監督の言葉で力を引き出すことができた」と述べているそうだ。
だから私に感謝しろとか、恩を返せとかいっているわけではない。彼らが私との出会い、すなわち私と結んだ縁を、尊び、従い、活かしたことが、いまの彼らをつくったといいたいのである。
我以外皆師
もちろん、私自身も南海のオーナーだった川勝傳さん、監督だった鶴岡一人さん、縁もゆかりもなかったヤクルトの監督に迎えてくれた相馬和夫社長をはじめ、さまざまな人のお世話になった。直接的あるいは間接的にさまざまな人の恩恵を受けた。それらの出会い、縁を糧として私がある。だからこそ思う。
「我以外皆師」
『宮本武蔵』で知られる作家・吉川英治氏の言葉である。説明するまでもないだろうが、「自分以外のすべての人は先生である」という意味だ。
実際、めぐりあった人すべてが私の師であった。年下であろうと関係ない。孫のような若い選手の指導を通して、こちらが教えられることは少なくなかった。
また、なかには私と反りが合わなかった人もいるし、どうしても好きになれない人もいた。けれども、その人はどうして私と合わないのか、なぜ好きになれないのかを考えて、私に非があれば反省し、直そうとしたし、「この人のようにはなりたくない」と、いわゆる反面教師とした人もいた。
どんな人であろうと、教えられるところはあるものなのだ。
だからこそ、縁を結び、縁を尊び、縁に従うことが大切なのであり、出会った人とは虚心坦懐、教えていただくという謙虚な気持ちで対するべきなのである。