*本稿は、野村克也『頭を使え、心を燃やせ 野村克也究極語録』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
「不思議の勝ち」はあっても「不思議の負け」はない
人間というものは、「勝利」や「成功」からは多くを学ばない。私はそう思っている。
勝ったとき、成功したときは気分がいい。だから、その気持ちよさに酔ってしまい、どうして勝つことができたのか、成功できた理由はなにか、深く考えることがない。私自身もそうだった。
しかし、負けたとき、失敗したときは違う。徹底的に考えた。どうして負けたのか、なぜ失敗したのか、どれだけ時間がかかろうと敗因を突き詰めた。
勝利には、運や偶然に作用された勝利、私にいわせれば「不思議の勝ち」が存在する。対して、「不思議の負け」はない。必ず負けに至った理由がある。
たとえアンラッキーに見えたときも、しっかり分析していけば、それを招いた原因がどこかにあるはずなのだ。つまり、やり方を間違えたから負けたのである。
「反省」できるのは「弱者の特権」
とすれば、負けたから、あるいは失敗したからといって、へこたれたり、嘆いたり、気分転換をしたりする前に、敗因を追及し、修正・改善することが非常に大切になる。そうやってきちんと反省すれば、同じ轍を踏むことは格段に少なくなり、勝利する確率、成功する確率が上がるからだ。
負けや失敗を認め、振り返るのはつらく、気分の悪いことかもしれない。だが、反省とはなにに向けてするのか。未来に向けてである。過去に向かってすると思うからいやな気持ちになるのだ。よりよい未来を手に入れるために反省するのだと考えればいい。
そもそも、反省できるのは弱者ならではの「特権」である。
弱者だからこそ、そういう機会に多く恵まれる。失敗が重なるということは、それだけ成功が近くなるということだ。失敗を糧にする経験が積み重なっていくことで、結果から学ぶことの少ない勝者・強者に追いつき、追い越すことは決して不可能ではなくなるのである。
私自身、決して強者ではなかった。だから現役時代も、監督になってからも、敗戦や失敗を数多く体験した。しかし、そのたびに敗因を追及・分析し、対策を練った。その蓄積が、私を一流と呼ばれる選手にし、監督として弱小チームを強者に変える力を与えた。
弱者だったから、私は負けや失敗を味方につけることができたのである。