勝者や強者は変化を嫌う

また、勝者や強者は往々にして変化を嫌う。あるいは恐れる。いまのやり方でうまくいっているのだから、変わる、もしくは変える必要を認めない。むしろ、へたに変えればかえって失敗するかもしれない、と恐れる。

だが言い換えれば、変わることを嫌うとは、それ以上の成長はないということを意味する。ライバルたちは必死に研究・分析し、攻略法を考えてくる。同じことをしていてはいずれ通用しなくなる。相手をはね返すには、みずからが「変わること」が必要だ。変化とは進歩なのである。

その点、弱者はどうか。結果が出ていないのだから、いまのままでいいはずがない。「これが自分のやり方だから」といったところで、まったく説得力はない。そのやり方ではダメなのだから、「勝ちたい」「成功したい」と思うのなら、変えざるをえないのだ。

すなわち、弱者は変化をいとわない。これも弱き者の特権なのである。

弱さは、決して恥ずべきことではない。卑下ひげする必要もない。世の中の大多数は弱者である。弱者がするべきなのは、弱者ならではの特権を最大限に活かし、弱さを味方につけることである。そうすれば強者など恐れるに足りないのだ。

誰しも自分の武器をもっている

100メートルを走るのに20秒かかる人間は、10秒で走る人間に100メートル走で勝つことはできない。42.195キロを走るのに3時間を切れない選手は、2時間ちょっとで走る選手にはマラソンではどうやっても勝てない。

個人競技とはそういうものだ。明らかに力の劣る者が同じ土俵で勝つためには、相手の失敗やトラブルを待つしかない。

しかし、団体競技、すなわち組織で戦う場合はそうとはかぎらない。野球でいえば、4番打者ばかり集めれば必ず勝てるというものではない。なぜなら、野球の9つのポジションと打順は、それぞれ役割が違うからだ。求められる資質が異なるのである。

適材を適所に配すれば、ただ4番打者を並べただけのチームに勝つことができる。たとえひとりひとりの力は劣っても、自分の役割と責任をしっかり認識し、まっとうできる人間がそろえば、強者に勝るのだ。個々の力を掛け合わせた「積」は、個々の力を足した「和」よりもはるかに大きいのである。