また、その日のセミナーでも、「今日は右足が痛くて立てなくてすみません」といったら、いつも以上に参加者の方が優しい雰囲気に。
「なんかツイてるなあ」
そう思っていたら、参加者のなかにも偶然、足の小指の爪が剥がれてしまった人がいて、すっかり意気投合してしまいました。
ものごとには必ずいい部分があります。だからこそ、いい部分を探す習慣をつくるのが、なによりも大切なことです。
「神頼み」でも不安はやわらぐ
ものごとのいい部分を探せる言葉を使う――これって、ある種の「神頼み」に似ていると思いませんか?
「神様ならなんとかしてくれる」と信じるのと、なにが違うのでしょうか?
実は、プリンストン大学の心理学者エミリー・プローニンの研究では、「神頼みをすると、人は自分が信じたことの裏づけを探そうとする」と、あきらかになっています。
実験では、まずAさんに目隠しをして、バスケットボールのフリースローをしてもらいます。そしてBさんは、神頼みをしてAさんを応援する。Cさんは、Bさんが神頼みをしていると知って、彼らを観察するという役割です。なおAさんは、Bさんが神頼みをしながら応援していることを知っています。
そして実験後、それぞれに感想を聞いたところ、Aさんは「神頼みされたときのほうが、されないときよりも成功率は高かったと思う」と答え、Bさんも「神様にお願いしたときほど、シュートがたくさん入った」と答え、Cさんは、「神様にお願いした影響がありましたね」と答えたのです。
この結果が示すのは、神頼みをしたからシュートの成功率が高まったのではなく、神頼みをすると人の心理状況が変化するということ。気持ちを切り替えて「いいこと」を探すようになると裏づけられたわけです。
簡単にいえば、「大丈夫!」と思えば、人間はいい部分を探すようになる。
だからこそ、不安などがあるなら──極論をいえば、「神様がなんとかしてくれる」と、神頼みをルール化してもいいわけです。
いずれにしろ、不安感情に対処するうえでは、気持ちを切り替えられるマイルールを持っているかどうかが重要なのです。