継父は「親」になってはいけなかったのか

この「親になろうとしてごめんなさい」という言葉は象徴的な意味を持っています。彼の陳述を文字通りに受け取るならば、結愛ちゃんの継父は「親」になろうとしていたのです。いわゆる「ふつうの家族」になる理想を描いたと言い換えられるかもしれません。

母親を抱いた子供が屋外を歩いている
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そして、親になろうと努力したけれど、それに失敗したことを認めています。彼は「血のつながりがないことを負い目に感じ」たと言っていますが、継親子に「血縁」がないことが「ふつうの家族」になれなかった決定的な要因なのでしょうか。この点をどうとらえるかが、ステップファミリー理解のための重要なポイントです。

彼は、継子である結愛ちゃんの「親」として「ふつうの家族」を目指すべきだったのでしょうか。それとも「親」になってはいけなかったのでしょうか。この点について、私たちの社会は、これまでしっかりと考えたり、議論したりしてきませんでした。つまり「落とし穴」を放置してきたのです。この点をさらに掘り下げ、「落とし穴」の意味を探る必要があります。そこで、結愛ちゃんの母親が書いた手記を手がかりにして、事件にいたる経緯を詳しく見ていくことにしましょう。

母親が手記に残した家族の変遷

二〇二〇年二月に、結愛ちゃんの母親が、『結愛へ─目黒区虐待死事件 母の獄中手記』を出版しました(以下『手記』と略します)。その記述からは、彼女が夫から受けた精神的DVの被害者であったため、娘を虐待から守れなかった側面があるように推測できます。しかしその一方で、母親の視点から描かれたこの家族の変遷をよく見ていくと、継父の公判陳述と(矛盾するというよりは)響き合いながら、ステップファミリーが陥りやすい落とし穴にはまっていった様子を読み取ることができます。

『手記』の第1章には、高校生だった彼女が、後に結愛ちゃんの「父親」となる男性と出会い、結婚・出産した後に離婚し、その後、結愛ちゃんの「継父」となる男性と出会って再婚するまでの経緯が書かれています。