東京都目黒区で船戸結愛ちゃん(当時5歳)が亡くなった事件の公判では、虐待した継父が「親になろうとしてごめんなさい」と謝罪した。彼は「親」を目指してはいけなかったのか。明治学院大教授の野沢慎司氏、大阪産業大准教授の菊地真理氏は「理想とする家庭像とのギャップに苦しんでいた」と分析する——。

※本稿は、野沢慎司、菊地真理『ステップファミリー 子どもから見た離婚・再婚』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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「継親子だから虐待が起きやすい」のではない

子どもが死に至るような痛ましい児童虐待事件が、各種メディアで繰り返し大きく取り上げられています。「親」はしつけのためだったと主張することが多いのですが、どうして自分の子どもにそのようなひどい行為ができるのか、まったく理解できないというのが多くの人の反応ではないでしょうか。

野沢慎司、菊地真理『ステップファミリー 子どもから見た離婚・再婚』(KADOKAWA)
野沢慎司、菊地真理『ステップファミリー 子どもから見た離婚・再婚』(KADOKAWA)

最初に強調しておきたいのは、親の再婚などで継親子関係が生じるステップファミリー“だから”虐待が起きやすいのでは“ない”ということです。確かに、ステップファミリーが陥りやすい落とし穴があります。その落とし穴とは、初婚同士の夫婦(両親)とその子どもだけの核家族、つまり、親がふたり揃っている「ふつうの家族」として振る舞おうとすることです。そして、そのように振る舞わせようとする社会からの暗黙の圧力があるため、気づかないうちにその落とし穴の方向に進みやすいのです。

けれども、そのような状況にはまらないよううまく回避しているステップファミリーが、虐待のリスク要因になることはありません。ステップファミリーであれば必ず落とし穴の方向に進むというわけではないのです。

「思い描いた理想を結愛に押しつけてきた」

東京都目黒区で当時五歳の女児、船戸結愛ちゃんが亡くなった事件で保護責任者遺棄致死罪などに問われた、結愛ちゃんの継父の公判は、二〇一九年秋に開かれ、法廷での様子が詳細に報じられました。『朝日新聞』によれば、彼は「結愛ちゃんに『父親が必要だ』と思い」、結愛ちゃんの母親と結婚したと述べています。そして、「『笑顔の多い明るい家庭』にと理想を描いたが、血のつながりがないことを負い目に感じ、それをはね返そうと必要以上にしつけを厳しくした」と陳述しています。

「歯磨きや『食事への執着』について結愛ちゃんを直接しかるようになり、改まらないと『焦りやいらだちが暴力に向かった』」と言いました。同紙によれば、彼は「思い描いた理想を結愛に押しつけてきた。エゴ(自分勝手)が強すぎた」と事件の原因を分析し、「『親になろうとしてごめんなさい』と泣きながら謝罪」したのです(『朝日新聞』二〇一九年十月五日朝刊)。