「介護生活からの解放」を願っていた私と違う私が、そこにはいた

もちろん、そんな都合の良い話はなく、母の場合、生き永らえることはできるが、それは延命に過ぎず、いわゆる普通の暮らし(ベッドから起き上がり、口から食べる)に戻ることは困難だということは、訪問医の説明からも明らかだった。

しかも、一度、「延命」のボタンを押せば、もう後戻りはできないシステム。病床の天井を見つめるだけの時間が年単位で流れる可能性も大きかった。

そうやって客観的に親のことを見る一方、もしかして「奇跡」が起こるのではないか、という感情も私の中に存在した。「母は生きたいのではないか?」という思いがわきあがったのだ。

「どんな形であっても、奇跡を信じて、生かすことができる命は救うべき? それとも、それでは生きているとは言えないと考えるべき? どっちなの、お母さん?」

母が返事をできる状態の時に、こう聞けたらよかったのに……。

もちろん、死ぬはずがないと思っていた人間があと10日でいなくなるという事実に、急に惜別の情が湧いてきたこともある。昨日まで、あんなに「介護生活からの解放」を願っていた私と違う私が、そこにはいた。その事実に私はショックを受けた。

終末期患者と手を握る家族
写真=iStock.com/Motortion
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看取り担当の私の一番の苦しみは、母の命の糸を、フェイドアウトにしろ、カットオフにしろ、私が決めなければならないという責任の重さだ。「自分の手で母の命をカットオフする」。このことに耐えられなかった。

母が死なないのである。死なないというより、死ねない。

苦しみに苦しみ抜いて、私はやっと決めた。病院での延命措置ではなく、施設内での看取りを選んだ。「命の長さ」より「命の仕舞い方」を選んだのだ。しかし、ことは予定通りには運ばなかった。

母が死なないのである。死なないというより、死ねない。あらゆる臓器が死に向かっている中、心臓だけが頑張り抜いているようなイメージだ。

余命10日だったが、2週間が経ち、3週間が過ぎようとしていた。看取り経験豊富な施設長によれば、母の場合は「遠い溺死(治療死)か、近い餓死(自然死)」の2択。私は「枯れて死ぬこと」を選んだのだ。

1滴の水が飲み込めない母は絶飲状態。せめて、渇きを癒やそうと、唇を湿らせたガーゼで拭うと、母は口をパクパクしながら水を求める。その姿は陸に揚げられて、必死に呼吸をしようとしている魚のようだった。

母は苦しそうに見えた。さまざまな医療関係者が「自然な死は苦しくない」と発信しているのは嘘なの? それを信じていたのに、現実の母は苦しそうで、眠るように安らかには、とても見えなかった。