「母が母でなくなり、私も私を保てなくなる」介護は“懲役刑”か
10年前、肺がんだった父(享年79歳)を自宅で看取り、正直「やれやれ」と思ったのも束の間、母(当時75歳)がある難病にり患していることがわかった。日ごとに体が不自由になっていく母の「なし崩し的介護生活」は、文字通り、問答無用で始まった。
親の介護をするつもりは1ミリもなかった。
両親は長男教であり、私は姉兄がいる末っ子で、しかも親から「嫁して実家の敷居をまたがず」という教育を受けてきたからだ。
その顛末は前2作『鳥居りんこの親の介護は知らなきゃバカ見ることだらけ』『親の介護をはじめたらお金の話で泣き見てばかり』(いずれもダイヤモンド社)に書いたが、結局、両親の介護生活は10年を超えた。
その間は葛藤の嵐である。私は介護なんか、やりたくなかったのだ。
母は途中で認知症も加わり、私の知っている母ではなくなっていった。そんな姿をただ茫然と見つめる、あるいはムカつく、あるいは情けなくて涙するという日々に、母も私も互いに打ちのめされた。
介護は、母が「母でなくなる」ことを見せつけられるばかりか、私自身が「私を保てなくなる」ようで、お互いの平安のために、私はこの“懲役刑”が早く終わることだけを願っていた。
しかし、健康診断での母は常に内臓周りは異常なしの「健康優良児」。ケアマネに「よかったですね~!」と言われるたびに、更年期障害で苦しむ私は本気で「逆縁」(※)を心配したほどだ。
※本来、後に亡くなるはずの人間が先に亡くなること。
当時、私の中には母が死ぬという概念がなかった。「この人は死なない」と本気で思っていた。でも、母は死んだ。
介護はある日突然、はじまる。正確に言えば、徐々に介護が必要になる体に移行しているのだが、介護者にとっては、見て見ぬふりをしてきたという経緯があるので「ある日、突然」と感じやすい。「看取り」も同じだ。ある日、当事者にさせられる。