「人の目」という私的な抑止力

警察も防犯カメラの効果を認め、現在ではカメラを5台増やし、さらに高性能なものに切り替え、歌舞伎町1丁目での死角をなくした。そして歌舞伎町に倣って、各地の繁華街で防犯カメラが設置されるようになった。

警視庁のHPによると、街頭防犯カメラシステム整備地区の刑法犯認知件数は、カメラ設置の2002年から2018年の間で、約半数になっている。私の肌感覚でも路上の喧嘩などを見ることは最近ほとんどなくなった。そして歌舞伎町の真ん中に位置する歌舞伎町交番には、警察官が毎日24時間、4交代制で8人いる。歌舞伎町で110番すれば5分も掛からず警察官が来てくれる。24時間態勢で歌舞伎町内をパトロールしている警察官も目にする。

「共生はしないが共存はする」防犯カメラ、そして警察、そういった公的な抑止力がある上で、さらに歌舞伎町には私的な抑止力もある。それは衆人環視、人の目だ。

歌舞伎町の路上では前後10メートル、誰の目にも触れられない場所はない。24時間どこでも必ず人がいる。必ず誰かが見ている。そして見られているのだ。正確なデータは取れなかったが、コロナ禍以前まで、10年で歌舞伎町の来訪者数は倍くらいに増えているように感じた。毎日たくさんの人が訪れていて、多種多様なお店が林立し存在し続けられているということは、警察やカメラのおかげだけでは成り立たない、連綿と引き継がれてきた「街の秩序」があるからではないだろうか。決して「警察が見ているから」だけではないと思う。

美しく積み重ねられたシャンパンタワー
写真=iStock.com/west
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歌舞伎町の住人たちはそれぞれの「テリトリー」を持っている

歌舞伎町を訪れたことがない方のイメージするような「怖い方々」ももちろんいる。でも、そういう方々は、我々が何もしなければ、決して危害を加えることはない。現在は反社会的勢力と言われる方々が一般人と揉めることに伴うリスクはものすごく大きい。もしそういう揉め事を起こすことがあるならば、組織のトップの責任になる。そんなリスクを背負って一般人に自ら絡むような人はいない。彼らが怒るとしたら余程のことだろう。だからと言って、彼らを舐めてからかうようなことを歌舞伎町の住人たちはしない。

歌舞伎町で働く人や歌舞伎町を遊びのホームタウンにするような歌舞伎町の住人たちは、羽目も外すがお互いが一定の緊張感を持って生きている。また、歌舞伎町で働く人は大体歌舞伎町で遊ぶ。最低限のモラルを守って周りに迷惑を掛けないように、それぞれで勝手に暴れるのだ。歌舞伎町には約600棟のビルがある。

一つのビルに10のテナントがあると仮定して、住居、事務所などを多めに見積もっても約4000軒を超すお店が存在する。いまだかつてすべてのお店を把握した人は1人もいないだろう。その数あまた多のお店の中で住人たちは、それぞれのテリトリーを持っている。それは物理的なテリトリーではなく、コミュニティと言われているものに近いのかもしれない。自分の安全圏を確保して、そこで心を解放させるのだ。