納棺師として数千人の生と死に向き合ってきた木村光希さんは、「死はおそろしいことでも不吉なことでもない」と語ります。死を真正面から考えるからこそ見えてくる生き方の指針とは――。

※本稿は木村光希『だれかの記憶に生きていく』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。

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写真=iStock.com/Tatomm
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忘れることのできない、ある夫婦の納棺

いまも忘れることができない、まだ駆け出しのころに担当させていただいた、あるご夫婦の納棺があります。交通事故で同時に亡くなられたそのご夫婦には、高校生の男の子がいました。ひとりっこの、3人家族でした。

言うまでもありませんが、お父さんとお母さん、どちらかを亡くすだけでもとてもつらいことです。それなのに、その少年は両親を同時に、しかも突然失ってしまった。彼の痛みや混乱がどれほどか、「駆け出し」ということを差し引いても想像できるものではありませんでした。

きっと朝、いつものように「いってきます」と言って玄関を出たのでしょう。思春期まっただ中ですから、ちょっとそっけなかったかもしれない。それを、後悔しているかもしれない。家に帰ったら夕食が用意されていて、それを食べながらなにげない会話を交わす、そんな「日常」が待っているはずだったのです。

ご夫婦だって、たったひとりの子どもであるこの少年の未来を信じ、またたのしみに描いていたことは間違いありません。その未来を見守れることを、応援できることを、疑っていなかったでしょう。

なにもできなかった無力感

きょうだいもおらず、ご親族も少ない様子でした。これからひとりでかなしみを受け止めなければならない17歳の彼に、なにかすこしでもケアにつながることばを……そう焦る自分がいました。

木村光希
写真提供=朝日新聞出版

しかしその子は、もうほとんどコミュニケーションを取ることもできない状態。ただ声とも言えない声をあげて泣きつづけ、火葬場では立っていることもできなかった。故人さまとの思い出を振り返る、どころではないわけです。

その姿、かなしみ、残酷さを目の当たりにして、ぼくはなにもできませんでした。なにか伝えたいと思いつつも、余計なことを言ってしまったらどうしようと、かけることばが見つからない。

自分にできることなど、なにもない―――まるで腫れ物に触れるかのような気持ちと無力感を、いまでもはっきりと思い出せます。

当時は実力も経験も不足していた、いまだったらもっといろいろなかたちで彼のサポートができる、と思うのですが……あのいたたまれなさと後悔はぼくの胸に残りつづけています。