「毎日が人生最後の日」では、すこししんどい

どうすれば、日々をより豊かにできるのか。まず、自分なりに「死への距離感」を決めるのがひとつの方法です。

「自分も、この大切なひともいつか死を迎えるんだな」とただぼんやり思うだけではなく、「いつ死を迎えるか」を具体的に想定してみるのです。そして、「それまでにどんなふうに生きていきたいか」を考えていく。

このように「どう生きるか」を考えるうえでよく語られる、有名なスピーチがあります。2005年、Apple社の創業者であるスティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学の卒業式で行なったスピーチです。ここで語った、次のことばを耳にしたことがあるでしょうか。

「今日が人生最後の日なら、あなたはどう過ごすか?」

もともとはジョブズ氏が傾倒していた、禅宗の流れを汲む言葉だそうです。たとえ明日命が尽きても後悔しないように、今日という日の自分の選択を、ひとつひとつ見つめよう。意義のある時間を過ごそう。―――そんな文脈で、あらゆる場面で引用されてきました。

たしかにこの「死まであと1日」という短い距離感は、人々をはっとさせます。そして鼓舞する力も持っている。日々のありかたを省みるきっかけになるし刺激をもらえる、すばらしい言葉でしょう。

一方でぼくは、正直、このことばを人生の指針にするのはちょっとむずかしいんじゃないか、とも感じています。

だって、仕事や家庭、自分が好きでやっている趣味だって、がんばれるときとがんばれないときがありますよね。疲れている日もあれば、ちょっとイライラしている日も、かなしいことが起こった日もある。それこそ死ぬまで、24時間365日「今日が人生最後の日なら……」と意識するのは現実的ではありません。息切れしてしまうでしょう。

「人生最後の日」に仕事に行くか

それに、もしも今日が人生最後の日だとして、はたして仕事に行くでしょうか? 市役所の待合に並ぶか? 歯医者に行くか? いつものように、家の掃除をしたり庭の草を抜いたりするか?

……そう問われたら、多くの方が「NO」と答えるのではないかと思います。

人生とは、日々のなんてことのない行為を積み上げていくもの。「未来はつづいている」とどこかで信じているからこそ、今日をがんばれるとも言えるのではないでしょうか。

と、えらそうに言いましたが、ぼくも「今日が人生最後の日」と言われたら、仕事はしないのではないかと思います(笑)。

納棺師の仕事には誇りを持っているし、日々は充実しているし、やりたいことや挑戦したいことはたくさんあるけれども、人生最後の日には家族と過ごしたい。納棺は仲間である会社のスタッフに託し、妻と娘を連れ、実家がある北海道に帰ってしまうかもしれません。

だれに聞いても仕事人間と言われるようなぼくが、なぜそんな選択をするか。

納棺師は「逝ってしまうひと」に寄り添うだけでなく、「遺されたひとたち」の姿や表情をだれよりもよく見ているからです。

ひとの死やかなしみに直接触れる納棺師だからこそ、つまり毎日のように「人生最後の日」を迎えたばかりの方と相対し、遺された人たちがどんな思いを抱え、どんな感謝や後悔を抱くか見てきたからこそ。

「ラスト一日」はなにを差し置いても、まわりの大切な人たちに自分の思いを伝える日にしたいのです。