※本稿は木村光希『だれかの記憶に生きていく』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。
大切なあのひとも、半年後にいなくなるかもしれない
「数千人をおくってきた納棺師が、自分の死を6カ月後に想定する深い理由」で、ぼくは「あと半年後におくられる」と想定してそれまでに何をするか決めているとお話しました。
同じように、大切なひとについても「半年後におくることになるかもしれない」といつも考えています。父も母も妻も娘も、友人も会社のスタッフも。みんな半年以内にいなくなってしまうかもしれない、と。
ですから、その瞬間を迎えたときに「○○すればよかった」と後悔しそうなこと(親ともっと話せばよかった、おいしいものを食べさせたかった、など)はなるべく意識して実行したいと思っていますし、「○○しなければよかった」と思いそうなこと(スタッフを強い口調で責める、夫婦間で「いってきます」を言うときにケンカしたまま、など)は、避けるようにしています。
要は「おくる」ときのことを考えて、接しているわけです。
たとえば、生まれ育った故郷から離れて生活されている方。「たまには帰らなきゃ」と思いつつ、忙しかったり目先のことに追われたりして、なかなか家族や地元の友人に会えずにいるという方も多いのではないかと思います。
でも、あと半年後に親が死ぬとわかっていたら、どうでしょう。もっと電話したり帰省したりしよう、と思うのではないでしょうか。感謝を伝えたり、ずっと行きたいと言っていた温泉旅行に連れていったりしようとするかもしれません。
もちろん、いざ大切なひとが亡くなると後悔はついてくるものです。それは仕方がない。そのひとにだけ尽くすなんて、なかなかできませんから。
でも、防げる後悔は防ぎたい。かなしさやショックは減らせないけれど、後悔は減らせるはず。ぼくはそんなふうに考えています。