居心地の良さを取り戻すためのマスクであるはずだ
たしかにマスクをつけたまま他人と話すことは「社交的」だとはいえないかもしれません。ドイツでは「自分の表情を相手に見せて情報開示をすること」「相手の表情が見えること」「ハグなど物理的な距離の近さ」も重要視されてきたので、これらを全部「不可能」としてしまう「新型コロナウイルスにまつわる規制」について、心から納得がいかずいら立っている人が多いというわけです。
「マスクをつけながら人と会っても楽しめない」という声はよく聞くのです。自分がマスクを着用することで自分自身の感染を防止するだけではなく、相手の感染も防ぐことができることは今ようやくヨーロッパでも共有されつつあるものの、「マスクを着用している」状態はやはり多くの人にとって「居心地の悪さ」とつながっています。
マスクなしの生活を一日も早く取り戻したいと考える人がデモに繰り出しているわけですが、11月28日のベルリンでのデモでも、マスクをしていない人が多かったようです。
一部の人は「マスクが体質に合わない」という医師の診断書を提出していますが、マスクをせずにデモで怒りに任せて声を荒らげ飛沫を撒き散らしているのを見ると、コロナの収束はまだまだ先になりそうだと思ってしまいます。
大切な人のため、コロナ以前の日常を取り戻すために
このようにドイツのデモでマスクをせずに絶叫したり、冒頭の日本の中学校のようにあえてマスクを外して合唱するのは問題だと書きましたが……筆者自身もマスク着用に戸惑いを感じる場面はあります。
たとえば人と会う際、もともと互いの顔を知っていれば双方がマスクを着用していても違和感はないのですが、問題は初対面です。仕事などで初めて人と会う際に互いがマスクをしていると、「相手の顔が覚えられない」問題が発生します。
目元だけを見て顔を記憶できる人もいるのでしょうが、筆者は初対面の相手がマスクをしていると、次回会っても全く分かりません。
「マスクをしなければいけないから、やらなくなった」ものもあります。以前はカラオケで思いっきり歌ってストレス解消をしていましたが、コロナ禍の今はマスクを着用したまま歌わなくてはなりません。でもこれでは「自由に思いっきり歌う」ことは難しく、カラオケにはあまり行かなくなってしまいました。
コロナ禍により、以前は当たり前だった「日々の何でもないようなこと」が失われたのは確かです。ある日の早朝、誰もいない道で筆者は10カ月ぶりぐらいにマスクをせずに大きなくしゃみをしたのですが、「ああ気持ちよかった」と思ってしまいました。