単なる「ユニフォーム」に成り下がったマスク

コロナ禍によってマスクを着用するのが「常識」にはなったものの、依然「機能」についてはあまり真剣にとらえられていないことも。たとえば電車や人混みなど、人に見られている場ではみんな当たり前にようにマスクをしています。

マスクをして渋谷スクランブル交差点を行き交う人々
写真=iStock.com/rockdrigo68
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ところがよく見ていると、普段しゃべらないときはずっとマスクをしているのに、
「人に話しかけられた途端にマスクを外す人」「国会中継のように自分がしゃべる場面になるとマスクを外す人」、そしてこれもビックリなのですが、「自分がくしゃみをするときにマスクを『ずらす』人」もいるのです!

そもそもマスクは「飛沫が飛ばないため」という要素も強いはずなのに、一番飛沫が飛びそうなタイミングでマスクを外すのは……周りの人からすると意味が分かりません。

ただこれなどまさに「マスク」というものが「服を着る」というのと同じようなレベルに成り下がっているともいえます。「服を着る」のは常識であると同時に、着ていないと逮捕されてしまいます。

本当に服が体を暑さや寒さから守るためだけのものであるならば、5月など穏やかな気候の日は裸で歩いたほうが気持ちよさそうなものです。しかし常識や法律はそれを許しません。

マスクに関してもこれに近づきつつあります。マスクは「とりあえず着用」するのが普通であり、着用しない場合は周りの人と揉めそうです。そんな理由からマスクを着用はしているけれど、本来の機能はなんだか忘れられていることが少なくありません。

マスクが「ユニフォーム化」してしまい「とりあえずつけてさえいればいい」とばかりに、鼻が出ている「鼻マスク」やマスクを顎の下に下げてしまう「顎マスク」もよくみられます。

ドイツのマスク反対のデモ…背景にある「社交至上主義」

ロックダウン状態のドイツでは今もなおマスクに反対する人がデモで声を上げています。11月28日にもベルリンを始めドイツ各地でデモが行われました。

前述のようにコロナ禍以前のドイツでは「マスクを着用すること」イコール「異様」だと見なされていたため、その感覚が今も抜けない人がいます。一方で、ドイツのほうが日本よりも「マスクを着用しない人に対して厳しい」のです。

ドイツではマスク着用が法律で義務づけられているため、公共交通機関でマスクを着用しない場合、たとえばノルトライン・ヴェストファーレン州では150ユーロ(約1万9000円)の罰金が科せられます。外食の際に席を立ちトイレに行くとき、うっかりマスクをし忘れると罰金刑に課せられることもあります。

あれだけマスクを否定的に考える人が多いのに法律が厳しいとは矛盾しているようですが……「だからこそ」厳しく取り締まらないと、さらに感染が拡大してしまいます。

現在ドイツで定期的に行われているデモでは「ドイツ政府はドイツ基本法(憲法に相当)を守れ」などの主張がされていますが、これは「外出できず人と会うこともできずストレスがたまっている人の心の叫び」とも取れます。

日本と違うと感じるのは、ドイツには「社交は絶対的に良いことだ」という「社交至上主義」が根底にあることです。長年その感覚で生きてきたため、新型コロナウイルスの登場によって「人と交流することに制限をかけられること」や「マスクの着用が義務づけられること」に対する拒否感が強いのです。