地域の日常生活の足としても定着し、見事黒字経営
仮運行の社会実験の後、2013年から正式に運行を開始した坂バスは、みなと観光バスによる「民間運営のコミュニティバス」だ。全国の多くの街を走る「公営バス」や、「自治体から業務委託されるコミュニティバス」との最大の違いは、補助金が出ない点にある。にもかかわらず、公共交通としての責任も負うため、「乗客が減って、採算が合わなければ即撤退」と身勝手な行動もしにくい。
「コミュニティバスの運行は、『自分たちの足は自分たちで守る』という地域の皆さんの意識と行動なしでは成立しません。その点、慈さんをはじめとする灘区の皆さんの一体感と行動力はすごかった」
と、松本さんは当時を振り返る。慈さんたちもそれに応えるべく、地域への呼びかけや、摩耶山上での自然観察やフリーマーケットなど、ユニークな活動を次々と打ち出していった。の活動は、灘区から一部実費が補助されることもあるが、ほぼ「摩耶山再生の会」メンバーによるボランティアである。
運行当初は「あのバスは何?」と思われていた坂バスの乗客数にも、認知度が上がるにつれて変化が表れた。運行3年目で、平日の「日常使い」の乗客数が、土日の「摩耶山へ行くイベント使い」のそれを逆転したのだ。もともと「摩耶山へのアクセス改善」のために生まれた坂バスは、地域の日常生活の足としても定着し、黒字経営となった。
コロナ禍で乗客数は減ったが懸命に走り続ける
ただ、そんな坂バスも現在、コロナ禍で大きなピンチに直面している。
「毎月1万5000人ほどだった乗客数が、コロナ禍の中、最大で平日2割減、土日祝で4割減になりました」
乗客数は2016年まで右肩上がりで増加し、ここ数年は横ばいだったものの、コロナ禍で摩耶山からの夜景目当てのインバウンド(訪日外国人)が見込めなくなったうえ、定期券が売れず、固定収入が確保できないことも響いたという。
みなと観光バスとしても苦渋の決断をして、2020年11月から土日祝の運行を半数に減便(20分毎→40分毎)した。半年間様子を見て、元のダイヤに戻せるかを検討するという。
現在の坂バスを見守る、灘区役所の辻智弥さん(33歳)は語る。
「コロナ禍でも行政から何かできることはないか、日々考えています。7月に慈さんから『中国に戻ることになった、王子動物園のパンダ・タンタンに、坂バスから感謝の気持ちを伝えませんか』と提案があった際には、車内で配布するペーパークラフトを作ったり、区役所の倉庫に眠っていたぬいぐるみをタンタンに見立てて提供したりしました。予算はとても限られていますが、地域の皆さんの思いで走り出した坂バスを、後押ししていきたいです」
もちろん慈さんも、手をこまねいているわけではない。
「坂バスをみんなで支えていることを視覚化しようと、車体に応援メッセージを書いたステッカーを貼るためのクラウドファンディングを検討しています。しかしなんといっても、地道に乗ってもらうしかない。これから寒くなると換気も大変だけど、車窓からは神戸のまちも一望できますよ」
市民と企業と行政の思いを乗せた坂バスは、今日も坂をぐんぐんと上っていく。