ここでは、常見・おおた両氏が赤木氏と私にいかにスター・ウォーズ(SW)が素晴らしいかを述べるもわれわれがまったく腑に落ちない、という展開になる。私は、作品の内容を予想しろ、と言われ、こう答えた。
さらに、なぜお前は見ないのか? と聞かれ、こう答えた。公開日にコスプレをする人が楽しんでいる様を喜々としてメディアが報じる様も「宣伝に貢献するなよ、一般人を煽るなよ」と思った。もちろん、ファンには何も思うところはない。あくまでもメディアが「推し過ぎ」なのがイヤなのだ。
【常見】君はジブリも同じ理由で嫌いだよね。
【中川】そうだよ。何が「バルス祭り」だ。オレがゲーム『三国志』が好きなように、個々人に好きなエンタメがあっていいわけ。でも、昨今のマスコミやネットは「話題になっている作品はみんなが好きなはずだ」って押し付けや同調圧力がすごく横行している。
野球中継ばかり見る父親が嫌ではなかったか
そして予想通りだが、同作のファンであろう人物からは「おまえこそ選民意識だろ。見もしないでよくここまで言える」と書かれた。当時、東洋経済オンラインにはコメント欄があったが、私に対しては「こじらせている」だのいろいろと書かれた。
要するに、「流行りものに乗れない」ことについて「そんなもんどうでもいいだろ。好きなものを見ればいいだろ」と意固地になると、バカにされるようなのだ。「オレらは好きで見てるのに他人の趣味にガタガタ言うな」と。いや、オレとお前、同じこと言ってるじゃねぇかよ……。
いや、そうではないのだ。メディアや、感動した人・興奮した人による「過度な押し付け」が嫌いなのである。かつて、プロ野球の巨人戦を毎日地上波で放送していた頃、家庭ではチャンネル争いがあった。父親は巨人戦を見ているが、妻と子供は見たくない。結局野球というものを「押し付けられている」感覚があり文句を言っていた。
親戚の集まりなどで大人の男性が野球の話ばかりしていて女性と子供たちがシーンとしている、というシーンも私は見てきた。多分、この時は後ろめたいというよりは「むかつく」「うざい」という感覚を覚えたのでは。しかし、スマホが普及し、メディアや「流行りもの情報」がより身近になり、ハマっている人々の熱狂的な意見がフェイスブック等で目に入ってくると、どことなく押し付けられている感覚が生まれてくる。
どいつもこいつも『アナ雪』で「レリゴー!」とやっていた時期を思い出す。