渋滞していた車がぷかぷか浮いた

「あの日」。34歳の森闘志也は新日鉄の釜石製鉄所の構内にいた。名前は「としや」と読む。キックボクサーだった父の「強い男になってほしい」との願いがこめられている。

<strong>棒線事業部総務部工程業務グループ・森闘志也氏。</strong>

棒線事業部総務部工程業務グループ・森闘志也氏。

かつて釜石SWのセンターとして活躍した。工程業務グループに所属し、釜石港の輸送管理センターで働いている。荷役管理を担当する。

震災のとき、グラリと揺れ、湾岸の倉庫まで走った。「高津波警報」を知って、構内に戻ろうとした。製鉄所東口にきたところで津波が押し寄せてきた。

東口の前には国道283号線が通っている。目の前が大渡橋の交差点。国道沿いには甲子川が流れている。いったん川の水が引いた後、すさまじい勢いで海水が国道の上を走ってきた。

「もう川より道路の上の水のスピードのほうがはやいのです。国道に渋滞していた車がぷかぷか浮いて、あっという間に沈んでいった。何十台、何百台の車があったと思います」

自分も逃げなきゃ、と考えたけれど、車に乗っている人を見たら反射的に体が動いていた。

「目の前で死にかけている人がいるのに放っておけないでしょ」

降りて、逃げろっ! そう叫びながら、森は交差点付近の車に近寄っていった。運転手は水圧でドアを開けられない。もがくだけだ。

森は車のフロントガラスを素手で割ろうとした。割れない。ならば横のドアだ。右こぶしでどんと突いたら、ガラスが粉々に砕けた。ドアをこじ開け、まず家族5人を救い出した。

「こぶしの衝撃はおぼえています。大した痛みはなかった。アドレナリンがたぶん、出ていたからでしょ。ラグビーのほうが痛いんじゃないですか」