今回の震災で、イタバシニットが受けた損害は10億円に達した。工場建屋の破損、機械類の破壊、原料の布地や仕掛品、完成していた商品の流出など純然たる損害だけを見積もった金額だ。幸いなことに、これまでキャッシュフローが比較的潤沢だったこともあって、メーンバンクもすぐにつなぎ融資に応じることを決めた。
「経理のことはすべて頭に入っているので、復旧資金として1億円くらいは、どうにかなるなと考えました。しばらくすれば、保険金や政府の助成金なども下りてくるでしょうし。震災後2カ月が過ぎても、つなぎ融資には手を付けていません。ただ、やり繰りや事務手続きで、財務部長は大変でした」
2010年の売り上げは18億円。今年は、15%増の20億円を見込んでいた。バブル経済絶頂の90年前後には、55億円を売り上げていたが、以後は減少を辿る。それが久々に大幅な増収が予想されていたのだ。
ところが、今回の震災で見通しは大幅に狂い「1億円くらいの赤字になる」と吉田は踏んでいる。しかも、68歳という年齢から、「そろそろ引退を考えていた」という。震災を機に、会社をたたむという選択肢もあったはずだ。
「そりゃ、辞めたほうが楽さ。今ならキャッシュフローもいい。保険金をもらって、払うものを払ったら、いくら残るなんて、すぐに計算できる。逆に再開すれば、新たに借り入れを起こさないといけなくなるでしょう。でも、あの光景を見たら、どうにかしなくちゃいけない、うちだけでも雇用を守ってやりたいと思いますよ」
震災から僅か2カ月後の5月16日。気仙沼工場の周辺や敷地には、まだ瓦礫や残骸が山積みされている。だが、壁をベニヤ板と断熱材で仮に囲った工場には、40台の真新しいミシンが並べられ、50人の従業員が立ち働いていた。工場が再開したのだ。
もちろん、気仙沼工場独特のシステムはまだ回復していない。奥では、自動裁断機ではなく、鋏を手にして布を切る従業員がいた。その横には、イタリアから届いた布地のロールが積み重ねられている。何より、どの従業員の顔も明るさに満ちていた。その様子に、吉田も今泉も震災後の苦労を忘れたかのようだった。
数日前、渋谷の本社で聞いた吉田の言葉が甦る。
「気仙沼の人っていうのは、優しいし粘り強い。お金のためもあるでしょうが、この商品を間に合わせなければならないとなったら、全員が一致協力する。一家の主婦も多いのに、残業も嫌な顔をせずにやってくれる。気仙沼工場の人たちには、キャリアゾーンの一流ブランドを自分たちが作っているんだという誇りがあるんですよ。そうやって頑張ってもらったことに、今度は私が応えなきゃならない」
吉田は今も、アドレナリン全開である。
(文中敬称略)
※すべて雑誌掲載当時