車の窓ガラスを次々に割っていく。津波の第2波がきた。おばあちゃんを土手に運んだら、運転席のおじいちゃんは車と一緒に川へ流れていった。
あっと思った瞬間、174センチの森も濁流にのみ込まれた。ごろんごろん。自分がどちらのほうに流されているのかわからない。丸太やガスボンベが背中にぼこぼこぶつかった。
「ただ明るいほうが上だとわかっていました。川との境のフェンスに当たったのは鮮明に覚えています」
これで九死に一生を得た。もしもフェンスがなければ、と問えば、森は真顔で言った。
「もう終わりでしょ。ぼくの人生もサヨナラでした」
その後も救出活動を続けた。今度は土手からロープ片手におぼれかけている人を助けにいく。ある男性は足を骨折していた。「もう歩けません。ここに置いていってください」と弱音を吐く男性を怒鳴りつけた。
「おまえ、ここにいたら、死ぬだろ。男ならしっかりしろって、顔をひっぱたいたのです」
水は冷たかった。感覚がなくなる手でロープを握り、十数人の命は助けた。極限の救出劇を終えたとき、からだが凍傷みたいに真っ赤になっていた。
あのときの手の感触、引き上げる瞬間の衣服の重さが忘れられない。無謀ではなかった。小学校時代からキックボクシングと空手を習っていた。サーフィンも水泳も得意だった。だから自分は絶対死なないとの自信があった。
「死んだら、助けた人に失礼じゃないですか」
確かに人はみな、純粋な正義感を持っている。でも土壇場で行動に移せるのか。無私の精神、勇気ある行動に心を打たれる。なぜなのか。
「鉄鋼マンであり、ラガーマンであるプライドかもしれません。ぼくらには街を支える使命感があるのです」
森は埼玉県深谷市出身。大東大3年のとき、父親が交通事故で重傷を負い、治療費や妹の学費を稼ぐため、中退した。日雇い労働をしていたとき、新日鉄釜石から声をかけてもらった。5年前に釜石SWを引退した。
父親からよく言われた。人の痛みがわかる人間になれ、と。
6月5日。釜石SW戦の前座試合に地元クラブチーム「紫波オックス」のスタンドオフとしてプレーした。体重が現役時代から20キロ増えてほぼ100キロ。それでも80分間プレーした。
「きつかったですけど、自分を見ている人に何かを伝えたかった。新日鉄は立ち上がる。街も必ず、復興します。大事なのはあきらめないことです」
(文中敬称略)
※すべて雑誌掲載当時