あなたの選んだ選択肢に「間違い」はない
他者と幸せの大きさを競うことに、ほとんど意味はありません。
たとえば、世の中には多動的な人がいて、彼らは多くの人と広く浅く交流し、たくさんの情報を交わし合うことによろこびを感じ、そんな自分を肯定して生きています。とくに、いまの時代はSNSなどで情報過多になっているため、そうした交流をうまくやっている人が目立ったり、「幸せ」に見えたりもします。
でも、そうでない人たちが不幸せかというと、まったくそうとはいえません。むしろ、わたしは「幸せの基準はたくさんある」ことを、救いに思ったほうがいいと考えています。
「わたしはあの人よりも幸せじゃないかも」
「自分もあの人のように前向きに生きなければダメなんじゃないか」
「自分もあの人のように前向きに生きなければダメなんじゃないか」
もし、いまそんな思いや迷いを感じている人がいたら、わたしは脳科学者として、ひとりの人間として、このようにいいたいです。
「あなたの選んだ選択肢で生きることに、なにも間違いはないんだよ」と。
人間は成人するまでに14万8000回もの否定的な言葉を聞かされる
人はなぜ、自分と他人を比べて思い悩むのでしょうか?
それは、おそらくわたしたち日本人が、子どものころから「正解を選ぶ人生」というものに、あまりに慣らされてしまっているからだとわたしは見ています。
人間は成人するまでに、約14万8000回もの否定的な言葉を聞かされるとする説もありますが、これと同じように、わたしたちはあまりにも、「次のなかから正解を選びなさい」といわれ過ぎているのではないかと感じます。