- 【第1回】「排泄を必死にこらえて帰宅」17歳の少女はなぜ学校のトイレが使えなくなったのか
- 【第2回】なぜベテラン整備士は自分が整備した飛行機に乗れなくなったか
- 【第3回】会社のロッカー室で首を切り血だらけの辞表を叩きつけた女の情念
※本稿は、遠山高史『シン・サラリーマンの心療内科 心が折れた人はどう立ち直るか「コロナうつ」と闘う精神科医の現場報告』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
均一な価値観から生まれる「スクールカースト」
登校を渋る子供たちの多くが、クラスの仲間のいる教室に入るのが苦痛であるという。
同じ宿題、同じ試験問題で出来不出来による差別化が起こる。同じ年齢を一律に集めると成績順が歴然としやすく、クラスの仲間は友達である以前に競争相手となってしまうのだ。
アメリカには例えば1年生から6年生までを一つにまとめた縦割りクラスで教育する学校がある。
そうした環境では子供たち相互の関係がパターン化せず、より多様になる。上級生は自ずと下級生の粗暴な行為を抑止し、弱い子供を保護しようとするため不登校やいじめは起きにくい。1軍、2軍、3軍カーストといった格付けをしあう「スクールカースト」も生じにくいだろう。
ある大学の非常勤講師として、介護系資格を取得するための講座を受け持った。実に教えやすいクラスであった。通信教育で高卒資格を得た不登校気味の生徒や、失職し第二の人生を始めようと社会人枠で通う中年の男、風俗で働くシングルマザー、夜の仕事でダメな亭主を支える主婦──。
教室では多様な経歴をもつ人々が互いに協力しあう光景が常にあった。
若い学生は社会人のクラスメートから教科書では学べない人生のリアルな経験を教わっていた。出席率は高く、同年代だけ集めたほかの授業にある私語も、ほとんどなかった。
そこにはにわかづくりとはいえ、多様な生き方を学習できる、豊かなコミュニティーができていたと思われる。