「ハイブリッド戦争」の時代でも陸自は陣地防御と陣地攻撃訓練を実施

しかし、陸上自衛隊において部隊同士が戦う訓練のメインは今でも、演習場で行う陣地攻撃と陣地防御の訓練なのです。陣地攻撃訓練が行われる度に私がイメージしてしまうのは日露戦争における203高地の攻撃です。

当時は、兵士は突撃を繰り返すだけの消耗品として扱われ、損耗したら新たな兵士が投入され続けました。そのためには、短期間で新たな兵士を作り上げなければなりません。となると、兵士に過大な期待はできません。速成するためには、兵士の期待値を限定して訓練を行うことになるのです。

そうやって、前線へ兵士を投入し続けていた消耗戦型の軍隊のイメージと、自衛隊の陣地攻撃訓練における突入の様子とが、私の中では重なるのです。

実際の自衛隊の陣地攻撃訓練では、まず特科部隊が敵の陣地への「突撃支援射撃」を行います。その間、普通科連隊の隊員が匍匐ほふくをしながら、敵が設置した地雷原の手前まで接近します。味方の砲弾を避けるためにもできるだけ低い姿勢で近づきます。

大砲や機関銃など多くの火器が配置されている敵陣地の手前には、地雷原や鉄条網が構築されています。突入するためにはこれを迅速に処理しなければなりません。その処理を施設科(工兵)が行います。敵の火力が待ち受けている危険な場所での作業です。

日露戦争以来の突撃の伝統……陣地攻撃訓練の中身

普通科部隊は、地雷原の近くに到達したところで、銃剣を銃に取り付けます。これを「着剣ちゃっけん」といいます。

「突撃支援射撃」の最終弾落下の時間になると、そのタイミングが無線で連絡されます。連絡を受けた小隊長は、「突撃にーー」と小隊へ指示を出し、最終弾落下とともに「進めーー」と号令をかけます。

それを受けた隊員たちは、施設部隊によって地雷原の中に作られた安全な空間を1列縦隊で全速力で走り抜けなければなりません。砲撃対応をしていた敵が「相手は突撃の態勢に入った」と判断し、戦闘の態勢につくまでに通過しなければならないからです。

地雷原を通過した小隊員は、地雷原がなくなったところで横1列に展開、陣地からこちらを確認するために顔を出そうとしている敵への射撃を行うためです。その後、登り斜面を50~100メートル、敵の陣地目指して突入し、敵を倒して陣地を奪取、息を整える間もなく「逆襲」に対処するため敵の陣地を確保する態勢をとる――これが陣地攻撃訓練です。

ここまで読んで、読者の頭にもいろいろと疑問が浮かんだことだろうと思います。「これではかなりの損害が発生して当然ではないか」と。しかし、これらは自衛隊の「教範」に書かれている通りのことで、参考とされているのは、日露戦争から太平洋戦争まで行われてきたことです。それをいまだに頑なに守っているのです。