求められなくてもボヤきたくなることは出てくる

直接説教されるより、間接的に伝えたいことをボヤいたほうが、「二度とボヤかれないようにするぞ」と素直に思えるだろう。

ボヤキがマスコミを通じて全国に広がると、自分の失敗が知れ渡ることになる。恥ずかしいやら悔しいやらで、「次こそは!」と気合いが入るはずだ。

監督を辞めた今でも私が野球についてボヤき続けているのは、やはりそれを楽しみにしている人がいるから、ということもある。「今度は何をボヤいてくれるのか?」「あの選手に対するボヤキ、聞いてみたい」、そんな声を小耳に挟むこともある。

まあ、わざわざ求められなくても、試合を見ていればボヤきたくなることがいくらでも出てくるわけだがな。

ライバルの存在なくして、人としての成長なし

「アイツにだけは絶対に負けたくない」

そう思える人物が、あなたのまわりにはいるだろうか。ライバルの存在は非常に重要だ。つくろうと思ってつくれるものでもない。お互いに切磋琢磨できる関係であることが、ライバルと言えるのではないだろうか。

私にとってのライバルは、王貞治だった。「長嶋は?」と聞かれることもあるが、長嶋茂雄はライバルではない。彼は天才で、私が努力してもかなう相手ではないからだ。実際に同時代にプロ野球選手として戦っていたからこそ、身に染みてわかっている。長嶋は天才、彼に勝てなくても悔しいといった感情は湧いてこなかった。

そんなわけで、私のライバルは王だ。王がどう思っているかは知らない。意に介していないかもしれないが、私はずっとライバル視してやってきた。「王の記録を抜きたい」「王がこれだけホームランを打ったなら、俺だって負けん!」「絶対にノーヒットにしてやる!」などと意気込んでいたことを昨日のことのように覚えている。