俺の人生は2番ばかり。でもそれでいい

今となっては思う。「2番ばかりでもいい、知る人ぞ知るでいい」と。若い頃には「なんだかなぁ」とボヤくこともあったが、自分らしいと言えば自分らしい記録じゃないか。

野村克也『老いのボヤキ 人生9回裏の過ごし方』(KADOKAWA)

地味で目立たない、誰にも興味を持ってもらえない記録、それが2番だ。誰もが知るナンバー1ではなく、知る人ぞ知るナンバー2。それでいいんだ。

そもそも私は“月見草”だ。ご存じの方も多いかもしれないが、「王・長嶋はひまわり、自分は夜の日本海の海辺に咲く月見草です」と、通算600号本塁打を記録したときの記者会見でコメントした。1975年のことだが、その前年に史上初の600号本塁打を記録したのが王だった。3万3000人の観客が見守ったそうだ。

人気のセ・リーグで輝く王貞治・長嶋茂雄に比べ、当時まだ注目度の低かったパ・リーグでプレーしていた私は、記録を打ち立てても日陰の存在と感じることがたびたびあった。特に王・長嶋のいる読売ジャイアンツ=巨人軍の人気は非常に高く、日本中にファンがいる圧倒的人気球団だった。

そんな2人と比べたとき、自分のあるがままの姿を言葉にしたのが“月見草”だ。王の600号を見守ったのが3万3000人だったのに対し、私の600号を見守ったのはたった7000人。やっぱり“月見草”だ。

人目につかないところでひっそりと咲いている黄色い小さな花は、私のふるさと、京都の家の近くで夕方になるとたくさん見かけた。

「キレイだけど地味だな、夜に咲いても誰も見ないのに……」と、学生時代のアルバイトの帰り道にぼんやりと思っていた。その姿が自分に重なった。

華々しいセ・リーグではなく、人目に触れないパ・リーグで頑張る自分。自己満足かもしれないが、そういう花もあっていいんじゃないか。数は少なくても、見に来てくれるお客さんのために咲く花があってもいい。

この思いが、私のプロ野球人生を支えてきたと思っている。

キャッチャーマスクの下で話していたこと

若い方はご存じないかもしれないが、現役時代の私は「ボヤキの野村」ではなく「ささやきの野村」と呼ばれていた。何がどうして「ささやき」なのか?

それは、バッターに対してキャッチャーマスク越しに話しかけていたからだ。

バッターボックスに選手がやって来ると、キャッチャーの私は独り言のようにささやく。相手選手がドキッとするような、私生活の秘密を言ったりするわけだ。