なぜ、日本人は走っている人を見るのが好きなのか
日本人は昔からマラソンや駅伝を見るのが大好きだ。なぜ好きなのか? 陸上競技をメインに取材している筆者はいくつもの要素があると思っている。
ひとつはランナーの美しさだ。もう18年ほど前になるが、日本選手権1万m4連覇などの実績を持つ佐藤悠基(日清食品グループ)が高校1年生だった頃、長野・佐久長聖高校まで取材に行った。その日のメニューは公園内でのペース走。淡々と走る佐藤に魅了された。リズミカルな腕の振り、膝の上げ下げで、前進していくフォームに思わず見とれてしまった。
動きに一切の無駄がなく。板の上を水が流れていくように、滑らかに駆け抜けていく。簡単なようで、普通の人にはできない芸当だ。
ランニング動作の秀逸さだけでなく、肉体美も注目ポイントになる。走ることに特化したカラダには余計な脂肪がないだけでなく、筋肉も必要以上にはついていない。いわば、F1カーの車体のようなボディといえばいいのだろうか。究極の機能美だ。
最近では大迫傑(ナイキ)の米国ポートランドでの練習風景が強烈な印象として残っている。上半身裸で走っている大迫の姿は古代ギリシアの彫刻のよう。もちろん、その走りも見惚れるほど。同性が見ても、大迫の走る姿はカッコいい。もっと言えばセクシーなのだ。
土屋太鳳の派手なタイツをまとった脚線美に熱視線
では、女子ランナーを見た時はどう感じるか。走りやフォームの美しさは、男性ランナーと同じように感じることができる。たとえば、東京マラソンなど男女混合レースの場合、同じ2時間25分台でフィニッシュする選手を見比べると、筋力に勝る男性と比べて、女性ランナーのほうにより「美」を感じる。男性はゴール前でパワーにものを言わせて走るケースもあるが、女性は最後まで無駄な動きがなく、走りが効率的。実に洗練されているのだ。
肉体美も男性ランナーとは別の要素を含む美しさがある。風の抵抗を抑えるのと、動きを妨げないために、女性ランナーの露出部分は多い。夏場であれば、セパレートタイプのユニフォームで走る選手もいる。市民ランナーでもタイツなどピタっとしたウエアで走る。
ボディコンシャスなウエアについ目を奪われてしまうのは男性だけではあるまい。今年の「24時間テレビ」でも土屋太鳳の派手なタイツをまとった脚線美に熱視線が注がれた。
最近はサングラスをしている選手が増えてはいるが、ランナーたちの顔も見るものを惹きつけている。真剣な眼差し。苦悶の表情。声援を送ったときに見せる笑顔。それぞれが自分の限界に挑戦し奮闘する姿を見れば、誰もが「頑張れ!」と声をかけたくなる。
男子マラソン世界記録保持者であるエリウド・キプチョゲ(ケニア)の「走る姿」は人類における最高傑作といえるだろう。キプチョゲは常に修行僧のような眼差しで前を見つめ、表情を崩さない。実際は呼吸が苦しいことやカラダのどこが痛むこともあるに違いない。しかし、それをおくびにも出さない。そして、フォームも42.195km走るあいだ、一切変わらない。高級腕時計が精巧に時を刻むように、正確なキックを繰り返す。
昨年10月にウィーンで行われた『イネオス1:59チャレンジ』という非公認レースでは1時間59分40秒をマークした。42.195kmという距離を1km2分50秒ペース(100m17秒ペース)で駆け抜ける様は、芸術品そのものだった。