コメンテーターが勉強していないだけ

話を元に戻して、政治をよくするための批判について。

この観点からすると、安倍さんの辞任記者会見における記者の質問は、どれだけ政治をよくするために貢献したんだろう?

後でも述べるけど、辞任に至る裏話を確認したりしても、別に政治はよくならない。単に政治好きの野次馬の好奇心を満たすだけ。田崎史郎氏などが関心を持つような裏話を国民が知ったところで、政治がよくなるものではない。

他方、7年8カ月も政権を運営していたら、安倍さんはいろんなことを実行しているのは間違いない。こちらの方の検証の方が、今後の政治をよくすることにつながるのは確かだろう。

ところが会見翌日の29日の朝刊各紙では年表形式で安倍さんの実績が列挙されていたけど、これも実際にやってきたことのうちのほんの少しだけ。

これでは次の政治をよくするための検証としては不十分だ。

最悪なのは「何もやっていない、何もできていない」「レガシー(遺産)がない」というコメント・意見。これはコメンテーターや学者なんかが政治家を評するときによくやるコメントなんだよね。

このコメントは一番楽。だってその政治家が何をやったかを学者やコメンテーター側がきちんと勉強する必要がないからね。

「安倍政権は長期政権だったのに何もやっていない。何もできていない」

こんな批判で、次の政治はよくなるのか?

政治家が何もやっていないというコメントを学者やコメンテーターたちがするなら、それはその政治家が何もやっていないのではなくて、学者やコメンテーターたちが何も勉強していないだけだ。

僕もこの批判をよく受けたね。今もコメンテーターをやっている大谷昭宏氏なんかにね。彼のコメントは、何も勉強していなくてもとりあえず恰好だけはつけられるという、KING OF コメンテーターのコメントだ。

(略)

ダメなものはダメ、批判すべきところは批判すべきだが、これは良いことだというところはきっちりと評価すべきだ。後の政治をよくするために。