質問内容も、「今、それをここで聞くか?」というものが多かった。

まあ記者として一応聞かざるを得ないという事情もあるのだろうが、「後継として意中の人は?」なんてことを聞いて、安倍さんが「後継は○○にする」なんて答えてくれると思ってるのかね。

安倍さんが答えないであろうことを、あの手この手を尽くして答えさせようとする知恵も執念もない質問。答えてくれないことを分かっていながら、とりあえず聞いてみるだけの質問。

僕なら「そんなこと言えるわけねえだろ! よく考えろ! バーカ」くらい言っていただろうけど、安倍さんはこんな質問にも丁寧に答えていた。

また「今日はプロンプター(演台の横に置いてある原稿を読むための装置)を利用していないが、それはなぜなのか?」という質問。

こんな質問とその答えが、辞任会見の今に要るか!!

それでも安倍さんは「自ら原稿を最後の最後まで推敲していてプロンプター用に準備するのが間に合わなかった」と丁寧に答えていた。

繰り返し言うが、メディアの質が政治の質を決める。メディアは、政治に対して批判や文句を言う前に、まずはメディア自ら自分たちの質を確認する必要があると思う。

これはメディアに出演している僕も当然含まれる。

ほんと安倍さんは、あの記者たちの質問に最後まで丁寧に答えていた。その真摯さはテレビ画面を通じてこちらに伝わってきた。

(略)

批判はいいが、やったことの評価も必要

もちろん、メディアが政治を批判するのは当然だ。でもそこには「何の目的で批判するのか」というところをきっちりと確定する必要がある。

(略)

目の前の事象についてどう対応していいかわからない場合は、論理的に一段さかのぼって、その目的や理由から導き出す。

政治批判についても、どのような批判が適切なのかは、論理的に一段さかのぼって政治を批判する目的や理由をまず確定すべきだ。そしてその目的や理由に沿う批判はどのようなものかを考えるのだ。

このような思考がないと、批判すること自体が目的となって、それは感情むき出しの単なる罵詈雑言になってしまう。

では、政治を批判するのはどのような目的・理由なのか。それは当たり前のことだが、政治をよくすることが目的だ。

だから政治をよくすることに資する批判をしなければならない。政治をよくすることにつながらない批判は、単なる悪口と同じだ。

この点をきちんと認識していない、学者やコメンテーターが多すぎると思う。

(略)