地球は「人類にふさわしくないもの」に変わりつつある

その時代に最も栄えているものは、常にその次の時代に栄えるもののための土壌を用意しているのである。きわめてマクロの視点にたてば、30億年に及ぶ生命の進化史は、地球を舞台にくり広げられた壮大な遷移のドラマであったということができよう。魚類の時代は両棲類の時代を準備し、両棲類の時代は爬虫類の時代を準備し、爬虫類の時代は、哺乳類の時代を準備した。そして現在は哺乳類の一部である人類の時代である。

この遷移の系列が、人類の時代をもって終わるということは、生物学的な常識から考えられない。30億年の地球史のなかで、それぞれの時代においてわがもの顔に地球を支配していた三葉虫や恐竜などがそうであったように、われわれ人類も自己の活動それ自体によって環境を自らの存在にふさわしくないものに変えつつある。

もし人間が、自ら変えてしまった環境に生物学的に適応できなくなれば地球の支配権を次の生物に譲らなければならないのはあきらかである。

遷移には革命がつきもの

この遷移現象を人類の社会史の中に見い出したのがマルクスである。マルクスはそれを歴史の弁証法と名づけた。封建社会は絶対主義社会の土壌となり、絶対主義は市民社会を形成した。市民社会は社会主義社会を経て共産主義社会へという遷移系列をたどり、そこでクライマックスに達するであろうというのがマルクスの予言であった。この遷移を人為的に押し進める機関である革命党の理論をひっさげてレーニンが登場し、ロシアで遷移を一つ進めてみせた。

しかし、社会主義から共産主義への移行という次の段階の遷移は、うまくいきそうにない。なぜなら、あらゆる遷移の実例が示すように、遷移の進行とは、優占種の交代と同意義であるからだ。社会主義社会における優占種が権力の座についたまま、遷移が進行することはありえない。

遷移には革命がつきものである。優占種はその時代の環境に最も適合しているからこそ、優占種でありうるのであって、環境が変化すれば、凋落せざるをえない。たとえ、社会主義の次の段階が共産主義であるという予測が正しいとしても、その移行を担う主役は、社会主義社会の中でいま醸成されつつあるまだ知られていない種であって、現在の体制を担っている優占種ではないだろう。その新しい種がマルクスの予言を実現してくれるかどうかは、むしろ疑わしい。