このように恋愛も含めドイツの学校は生徒を「一個人」として扱うのが普通です。奇抜な格好や、とっぴな行動も「もうすぐ大人なのだから」ということで、「自立の証し」として見守ってくれていたように思います。

そうはいっても、「宿題をしない」「授業の邪魔をする」などといった問題行為についてドイツの学校は厳しく、先生から親に注意の手紙が送られることもあります。これが3回続くと、今度は校長から親に戒告の手紙が送られます。校長による戒告が3回続くと、生徒は退学になり別の学校へ転校を余儀なくされます。学校での暴力や授業の邪魔をするなどといった問題行為についてはこのように厳しい対応をとるドイツの学校ですが、生徒の身だしなみや放課後の生活態度など「授業や勉学と関係ない」とされていることに関する規制はないというわけです。

そのためドイツでは生徒が何か危険なものに巻き込まれる可能性があったとしても、規則として何かを禁止することはありません。法は守らなくてはいけませんが、それは学校の問題ではなく生徒個人の問題だと考えられています。したがって仮に何かに巻き込まれる可能性が否定できなくても、その上で自分のスタイルを守るか否かは生徒本人の判断に委ねられています。

ドイツの学校で大事にされている「多様性」

ドイツの学校の先生が生徒の生活面にタッチしないのは、「先生による管理が時間の面でも労力の面でも不可能」だと考えられているからでもあります。

ドイツの学校に給食はなく、当然日本の小学校でたまに問題になるような「完食指導」もありません。それは「食」も「私」に該当すると考えられているからです。よって「食」に関する指導は家庭の管轄です。

ドイツにはイスラム教徒の生徒も多く、彼らは豚肉が食べられません。また親がベジタリアンで、「子供に肉は食べさせない」という方針の家庭もあります。色んな主義や考え方がある中で、学校が生徒をひとつの方向に「これが正しい」と導くことは不可能だと考えられています。

日本人からすると、このような割り切った考え方であるドイツの学校は「冷たい」と感じるかもしれません。でも勉強以外のさまざまなことが本人や家庭に委ねられていることの利点は確かにあるのです。それは、わざわざ「多様性」を主張しなくても、「自然な形で多様性が保たれている」点です。

いろいろな肌の色の人がいて、さまざまな髪質の人がいる。家庭によって文化も違えば、生徒個人の好みもいろいろ――学校はまさに「社会には色んな人がいる」ことを学ぶ場所です。

日本の学校でも外国人や外国にルーツを持つ生徒は増えています。学校が「黒髪の直毛」をスタンダードとし、そうでない髪質や髪色の生徒に「地毛届」の提出を求めることは時に人種差別の問題もはらんでいます。