妻からの試合前のLINE「あなたは最低」
そこでの反応から自分が見せてきたストーリー、そして「おれたちはファミリーだ」に込めた思いが響いているのを実感した。
とくに2017年から2018年にかけて、僕は家庭も仕事もどん底としか言えない状況にあった。「家庭壊してひとりぼっちで」には一切の噓がない。掛け値なしの当時のリアルだ。
試合前に妻から「あなたは最低」「信じられない」というようなLINEが送られてくるくらい、夫婦関係は崩壊していたし、母親からも「(妻がそこまで言うのは)お前がバカだからだ」となじられた。
そんな状況でも、当時は離婚なんて考えもしなかったし、家庭を失うという、社会の最小単位から外れる未来を過剰に恐れていたのだ。
2016年から17年はMMAで2連敗、グラップリングを含めて3連敗と、勝ち星にも恵まれなかった。試合には勝てないし、家庭はぐちゃぐちゃだし、ひとりぼっち。人生で一番つらかった時期だったわけで、「引退する」という選択肢がいつもチラついていた。
ものすごい孤独感、孤立感を抱えて、ボロボロだった。支え合うはずの家族に支えてもらえなくなった僕は、「ファミリーのようなもの」に頼るしかなかった。なんとか踏み止まれたのは、ファミリーたちのおかげ以外の何物でもない。だから「おれたちはファミリーだ」は追い込まれた末に生まれた言葉なのだ。
家庭をふたつ持つ知人男性
そもそも「ファミリー」という人間関係のつながり方を考えついたのは、とある知人男性の話がきっかけだ。
彼は家庭をふたつ持ち、それぞれに子どもがいる。ひとりの女性とは法的な婚姻関係があり(つまり、妻)、もうひとりの女性とは当然ながらそれはない。後者の女性が彼とその友人たちの前に現れた際、彼女は自らを「妻です」とも「家族です」とも言わず、さらりと「ファミリーです」と名乗ったという。
彼からその話を聞いて以来、ファミリーという言葉の在り方が記憶に強く残った。「家族」とは明らかに違う、ゆるやかで、曖昧な表現が僕の中にすっと心地よく入ってきたのだ。
2018年3月に勝利してからは、海外メディアで「青木は終わっていたはずだ。でも、再び戻ってこられたのはなぜだ?」としきりに報道された。僕が終わらなかったのは、いくら勝利に見放されていても、格闘技という賭場から降りなかったことと、諦めたこともなかったからだ。
ファミリーが心の支えになり、「コツコツやっていれば、またあの場所に戻れる」と思って、気持ちを持ち直すことができた。
この記事では、僕が考える新たなつながり方である「ファミリーの在り方」についてつづっていきたい。