議論の生産性を高めるうえで「プライド」はムダになることが多い。慶應MCCシニアコンサルタントの桑畑幸博氏は「ツイッターでは論点をすりかえる『揚げ足取り』の議論が目立つ。そうした場面では、さっさと謝罪し、本来の論点に戻ったほうがいい」という——。

※本稿は、桑畑幸博『屁理屈に負けない! 悪意ある言葉から身を守る方法』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

ビジネスマンが謝罪している場面
写真=iStock.com/itakayuki
※写真はイメージです

Twitterで見かけた編集者の「くだらない議論」

自称「議論研究家」の私にとって、なかなか興味深いネタを提供してくれるTwitter。そこで先日も「くだらない議論」を見つけました。(なお、それぞれの発言は論旨が変わらない程度に私が編集しています)

発端は、ある男性編集者(Aさんとします)が「献本へのお礼を直接でなくSNSに流すのは、自分にはコネがあるということを言いたいだけとしか思えない。書物が社交の道具に貶められている」とツイートしたことでした。

その意見に反応したのが同業の女性編集者(Bさん)。「その解釈は狭量だ。本の情報がSNSで拡散されることに意味がある」と意見します。

するとAさんは、「情報を拡散して本の宣伝ができればいいという考えには同意しない。書くことは断念することであり、編集は捨てることであり、出版は閉じ込めることだからだ」と反論します。

ここまでは良かったのです。

メリットとデメリット、リスクとリターン。モノゴトには多様な側面がありますから、献本に対しても異なる意見が出てくるのは当たり前で、両者の意見にはそれぞれちゃんとロジック(理屈)がある生産的な議論です。