「怒り」は成長の糧として蓄える

もちろん、怒りすべてが悪モノとはいえない。個人的な怒りがモチベーションになり、成功に結び付くという事例もあるだろう。世の中の不正に対する怒りが原動力で、社会変革を起こす人もいる。

だが今回のような事例は、極めて個人的な問題だ。神出鬼没のレイプ犯でもなければ、権力を行使しての無理強いでもない。

不倫を起こした本人と女性(単数なのか複数なのかは知らないが)が、見も知らずの不特定多数の匿名者から誹謗中傷を浴びせられるいわれはないのだ。

それでも、芸能人の不倫騒動のたびに、私たちの心がザワつくのは、それを全世代的に許してしまえば、次世代を生み育てる基盤が崩れ去ることを本能的に察知しているからかもしれない。文化圏で違いはあれど、少なくとも私たちが住む日本では、一夫一婦制で次世代を生み育てていくことが、社会上の合意となっている。「子どもはつくるが、夫は外で遊びたい放題」では家庭は機能しない。

だからこそ、「幼い子育て中の妻を放っての不倫」が、ことさらに世間からの非難を浴びているのではないだろうか。

「批判」と「誹謗中傷」は、似て非なるもの

ちなみにだが、「批判」と「誹謗中傷」は似て非なるものだ。木村花さんの自殺のあと、多くの芸能人がSNSなどを通じて誹謗中傷を受けてきたことを告白し話題になったが、その延長線上に「だから安倍首相への非難もやめよう」というびっくり見当違いな意見も散見した。

そもそも、国民の税金を投入する政策を決定する権限を持つ時の政権や首相に対して、自国民が「評価」「批判」「意見」する権利を持つのは、民主主義国家の基本である。

一方の、芸能人のスキャンダルや失態、あるいは「好き・嫌い」といった感情を、言いたい放題世間にぶちまけることは、「批判」ではなく「責めること」だ。

自民党がインターネット上の誹謗中傷対策を検討するプロジェクトチームの会合を開き、悪質な書き込みをした人間を対象に刑事罰を強化することや、発信者の情報開示を迅速に行える法案を準備しているが、くれぐれも「政権や首相に対する批判」と、「一般人の誹謗中傷」が混同されることは妨げなくてはならない。

自分が抱いた怒りは、正当な批判なのか、それとも単なる誹謗中傷なのか。一瞬、立ち止まって考えることを習慣づけたい。

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