1982年という早い段階に、インド政府との合弁会社「マルチ・ウドヨグ」として設立されました。1992年、スズキは出資比率を26パーセントから50パーセントへ。2000年代から生産、販売台数が増えていき、インドで造った「アルト」をヨーロッパへ輸出し始めた。

2002年、スズキは出資比率を過半数の54パーセントに引き上げてマルチ・ウドヨグを子会社にして、2006年にはインド政府が全保有株式を売却、完全民営化されました。

見下し、傲慢な態度をとる人はいなかった

スズキの成功の大きな鍵は、経済改革前の時代は政府と一緒に公的な組織としてスタートし、保護主義が薄れ、規制が撤廃された後は民間企業として成長したところです。最初から民間企業ではインドのマーケットに入ってこられなかったし、経済改革以後も公的な組織を続けていたら、生産性は落ちたでしょう。

インド・オールドデリーの通り
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私はスズキに依頼されて講演をしたこともあります。その時、スズキの担当者が強調して言っていたのが、「スズキはローカライズをちゃんとやっている」ということ。それも鈴木修会長が直接、指示したとのこと。

日本企業に限らず、海外企業はインドに来ると、インド人従業員を見下したり、なかには傲慢な態度を取ったりする人がいます。しかし、スズキの日本人は一切、そういうことはしなかった。

景気が悪化しても、レクサスを売りさばく販売力

グルグラム(グルガオン)はデリーから車で30分のところにあり、日本人駐在員が多く暮らしている経済都市です。そこで見たトヨタの販売店はかなりの実績を上げていました。

販売店はカーディーラーです。メーカーではなくサービス業の範疇に入ります。トヨタがインドで車を売って実績を上げているのは、サービス業として優れたカーディーラーを抱えているからでしょう。そのひとつが私の見たMGFトヨタでした。

MGFトヨタは1960年に設立され、自動車販売事業の他、不動産事業、ショッピングモールの開発等も行っています。2000年にトヨタの第一号ディーラーになったときの従業員数は23名でしたが、現在は1100名。

また、2000年の販売台数は900台で、かつ点検、修理などサービスをした車両は2800台に過ぎなかったのが今では販売が4200台、サービスは6万5600台の入庫となっています。

店舗数はグルグラムに5店、デリーに1店。同社は販売よりもサービスを重視しているようで、従業員のうち、販売担当が200名ほどなのに対して、サービス担当の陣容は870名以上にのぼっています。

2019年上半期(1~6月)のインド自動車市場は、2018年に比べると10パーセント減と縮小していますが、MGFトヨタは前年比20パーセント増を達成しているとのこと。そのうえ、同社は高級車レクサスの販売でも好調を維持しています。