女性漫才師が敵軍に撃たれ…
わらわし隊には括られなかった小さな慰問団が、移動中に敵軍の襲撃を受けたのである。その際、桂金吾と夫婦コンビを組んでいた花園愛子が、撃たれた将校を抱き起こそうとして、自らの大腿部にも2発の弾を受けてしまった。なかなか治療を受けられなかったため、4時間ほどあとに、出血多量で息を引き取っている。このため、花園愛子は靖國神社に合祀された。女性漫才師で合祀されているのは、彼女しかいない。
この襲撃を受けた際には、他の芸人たちも銃を手に取り、手榴弾を投げるなどして、交戦したという。戦地に行くというのは、そういうことではあるのだろう。しかし、人を笑わせるのを目的にしていた芸人が、武器を手に取らざるを得ない状況に追い込まれるというのは、あってはならないことだった。
慰問団の派遣は、全国に吉本の名を売り、戦地の兵隊たちを大いに喜ばせていたものの、こうした犠牲を出してしまっていたのだ。
誤解をおそれずにいうなら、わらわし隊は吉本興業と朝日新聞が組んで行っていた戦時におけるビジネスにもなっていた。やるべきではなかった、と言いたいわけではない。吉本としては、利潤などを目的にしていたわけではなくても、結果的に慰問団を派遣するメリットは小さくなかったということだ。
戦地で苦労している人たちを笑かしたい
吉本泰三とその妻・せいの二人が寄席経営に踏み切った時点から、「人を笑かすこと」は常に吉本興業の上位概念にあったのだと思う。それは、企業理念と呼んでもいいものだ。つまり、人を笑かすという目的をかなえるために、寄席や劇場を買い、芸人とのコネクションをつくっていくなど、ビジネスを展開していったということだ。
それにより、寄席に集まってくれた人を笑わす……。大阪の人たちを笑わす。日本中を笑わす。すべての人類を笑わすことを、目指していく。「儲けること」を考えるのは、企業として当然である。「人を笑かすこと」は上位概念としたうえで、「そのために儲けている」と考えれば納得しやすいのではないだろうか。
戦争慰問にしても、そうだ。名を売ることを目的にしていたのではなく、戦地で苦労している人たちを笑かしたい、ということから派遣を決めたにちがいない。それがビジネスとも結びつき、プラスがもたらされたということだ。
そういう見方をしなければ、「やっぱり吉本は、オイシイ話には目ざといなあ」、「そんなにカネを儲けたいんか」と言われてしまいかねない。吉本が戦地に慰問団を送り出したのは、決してそれだけのことではなかったはずである。それは、吉本の企業理念に基づいての行動であったと私は信じている。