アートはビジネスであり投機だ

現代アートの世界では、作品の意味内容の深さであるとか、技術のクオリティであるとか、霊感であるとか、そういうものが芸術的価値を決めることはほとんどありません。アートの才能とは、創造性というより、政治力、企画力、実行力なのです。アートはビジネスであり、投機なのです。

資本主義システムに波乗りするようなポップな身振りで成功したアンディ・ウォーホルあたりから、アーチストの政治的野望はポジティブに評価されるようになりました。バンクシーはまさに、そういったウォーホル的な現代アートの傾向を念押しする存在です。しかもアンディのように「新しい芸術潮流を作る」という大義名分すら押し立てることなしに、まったりと確信犯的に演じているのです。

これからのアートにとって重要な以上の三つの属性——「匿名性」「違法性」「企画力」——は、互いに絡み合っています。「匿名性」は「違法性」を維持するためには必要ですし、同時に「企画力」に意外性を与えます。そして「企画力」は「違法性」をコントロールするうえで最も求められる力です。美術作品としては平凡な物体を、世界的に有名なプロジェクト作品群に仕立て上げたのは、匿名の違法的企画力であったと言えるでしょう。

バンクシーはアート業界のこれからを予告する

アートという名目があれば猥褻わいせつも差別も残虐性も涜神とくしんも名誉棄損きそんも許される——という「アート無罪」なる標語があります。そんな特権意識でアートを営むことがどれほど許されるか、試すこと自体を目的とするアート。ブランド力が違法性・非倫理性を免罪するアート。そんな一群の作品が、世の中にそれなりの活気をもたらしうることはうなずけます。

三浦 俊彦『東大の先生! 超わかりやすくビジネスに効くアートを教えてください!』(かんき出版)
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法律を破るアートなんてとんでもない、と感ずる人もいるかもしれません。しかし逆に言えば、「法律をうまく破る」ことは、日常生活にとって必要なことなのです。法律の専門家に聞いた話ですが、道路交通法一つとっても、すべての条文を守って運転することは現実問題として不可能なのだとか(笑)。……ビジネス、政治活動、そしてアートにとってはなおさらでしょう。

犯罪は(重犯罪も含めて)社会にとって必要不可欠の要素である、とハッキリ断定したのは、『自殺論』で知られる社会学者エミール・デュルケームでした。社会の縮図であるアートにとって「犯罪」が正式の手法となる日は、そう遠くないでしょう。法や道徳に対する個人の責任が、匿名のブランドの企画力に肩代わりされてゆく。そんなアート業界の姿が、バンクシーによってマイルドに、しかし確実に予告されているのです。

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