違法性を利用したことで「独特の違和感」が生まれた
第二に、バンクシーの「違法性」に改めて注目しましょう。落書きアートは立派な反社会的行為です。アートというものは、とくに近代以降、道徳規範や政治権力に抵抗するパワーを発揮してきました。反社会性はアートの本分みたいなものなので、権力批判的な政治的内容が特色とされるバンクシーの作品も、その点では、特に目立った存在とは言えません。しかし現代都市空間において最もわかりやすい、おしゃれな絵を違法行為の形でアピールしたからこそ、独特の違和感が生まれ、アート特有のいかがわしさを程よくよみがえらせる効果を醸し出しました。
もちろん、落書きというのはせいぜい器物損壊罪のような軽犯罪にすぎません。バンクシーがアートの違法性という属性に堂々たる市民権をあたえたのをきっかけに、これからは、落書きよりもはるかにシリアスな物議を醸す種類の法律破りがアートにおいて敢行されるのではないでしょうか。
といっても、あまりに直接に人を傷つける暴行や殺人のような犯罪行為がアートで用いられたとしても、それが世に価値あるアートとして認められるとは思えません。一部の人の嫌悪感をかき立てながら「被害者のいない犯罪」と呼ばれるような違法行為がアートで使われるのではないでしょうか。
バンクシーは優れた「企画者」である
そういった「法律を破ることによる社会批判」に説得力を持たせるには、優れたプロモーター能力が必要でしょうね。そう、バンクシーの活動にみられる三番目の著しい特徴は、「売り込み能力」です。「企画力」と言ってもいいでしょう。
バンクシーの作品は本当にわかりやすいですよね。絵というよりイラストと呼ぶべき、ノスタルジーを感じさせる作品が主です。造形的には、とりわけ独創的な手法が用いられているとは思えないし、風刺精神にあふれた軽妙なユーモアはあっても、精神的な深みが感じられるわけでもない。結局、美術作品としては、大した作品とは思えません。
それでも「何かある」と感じさせるところがバンクシーの面白さです。美術作品という形を取りながら、バンクシーは、美術以外の別のことをやっているのです。それは「企画のプロモーション」です。いわば「プロジェクト・アート」ですね。
街のゲリラ的活動のほかに、「世界一眺めの悪いホテル」への出資とか、オークションで自作が売れた直後に破壊するハプニングとか、いろいろ工夫を凝らして「こんな形でじわじわと社会に名を売る!」「我が政治的メッセージを浸透させる!」という決意を見せつけているわけです。企画者としての力量が表われていますね。