妊婦を感染リスクにさらして働かせ続ける異常な環境

妊婦が新型コロナウイルスに感染した場合のリスクについては、いまだ十分な知見が集められてはいないとよく言われるが、それであればなおのこと、より安全サイドに立った慎重な対応がなされなければならないはずだ。

しかも妊婦が感染し肺炎を疑う症状が出現した場合も「念のためレントゲンとCTを撮ってみましょう」とはなかなか簡単に言いづらいし、たとえ他の治療が奏功しなかった場合であっても、アビガンなど催奇形性リスクのある薬剤は選択肢にさえ挙げられない。つまり妊婦が感染すると、検査や治療の範囲が限られてしまうのだ。仮に軽症であっても、妊婦検診や分娩を受け入れてくれる医療機関は極端に限られてしまう。

このようなウイルスに感染した妊婦を取り巻く医療環境が極めて厳しい状況であるにもかかわらず、妊婦を感染リスクにさらす環境で就労させ続けることは、誰が見ても異常だと思うだろう。

そして医療機関の管理者は、スタッフから自身が妊娠中であるとの報告を受けた際には、迅速に当該スタッフを危険な部署から配置転換するか、状況によっては休業を勧奨、いや指示するのが当然ではないか、とも思うだろう。

医療機関に充満する「休むことを許さない空気」

しかし、現実はまったく異なるという。

拙著『病気は社会が引き起こすーインフルエンザ大流行のワケ』(角川新書)でも言及したが、わが国では、仮に体調不良の場合であっても、仕事や学校を「休む」という行動をとることが非常に難しい。「休むことは罪悪である」と感じさせる風潮さえある。そしてその「休むことを許さない空気」は、年中無休で人の命を預かる医療機関という職場においては、他の職場以上に当然のこととして充満していると言っても過言ではない。

そのような「空気」の充満している職場で、妊娠した医療従事者が自分から配置転換や休職の希望を、上司に対して申し出ることは可能だろうか。

「不安だからと、妊娠中だからと、私だけが離脱しまっていいのだろうか。この逼迫ひっぱくした状況で自分が離脱することで、他のスタッフに迷惑をかけてしまわないだろうか」といった、不安と使命感のはざまでの苦しみは、私のような部外者が軽々に代弁することのできないレベルのものに違いない。