第二次大戦につながった「ブロック経済圏」
スペインかぜの流行は、世界的に1918年春、秋、冬(19年春との表記もあり)3つの波があったとされています。新型コロナについても、すでに年単位で対処策を講じる必要がいわれていますが、集団免疫が役に立たない第2波は本当に来るのか、そうだとしたらいつ、どんな形で? とはまだ誰にもわからぬこと。第1波による企業の業績急落を見るにつけ、戦々恐々とせざるをえません。
第一次大戦の終戦とスペインかぜの終息を経て、1929年には米国発の大恐慌の波が世界を襲い、欧米列強は「ブロック経済圏」を築いて生き残る道を選びました。ブロック経済圏とは、「自国、自治領と植民地だけの閉じられた経済圏」です。ただ鎖国とは異なり、他国との交易の余地は残しつつも、高い関税率などの障壁で保護経済圏を作るわけです(英語で「bloc economy」と表記され、塞ぐという意味の「block」を連想しがちですが、正しくは「bloc(圏、連合)」です)。その端緒となったのは、米国が高い関税率を定めたスムート・ホーリー関税法(1930年成立)でした。いずれにせよ、戦後の世界経済の発展を促した自由貿易の概念とは正反対の動きです。
このブロック化が、後の第2次世界大戦につながったとする学説が、現在も通説となっています。どういうことでしょうか。
現在も進んでいる世界経済の「分断」
大恐慌当時は、同じブロック経済圏でも、植民地を「持てる国」と「持たざる国」とに分かれました。そして「持たざる国」のブロック経済圏が次第に困窮してゆき、その突破口として他の経済圏を武力で侵略した……という一連の流れが、戦争に至るセオリーというわけです。ちなみに、その「持たざる国」の代表格が旧枢軸国である日本・ドイツ・イタリアとされ、このとき戦争を避けられなかった反省から、戦後は米国主導で自由貿易を原則とするブレトンウッズ体制が敷かれました。
国家・企業間の関係がより深化・複雑化し、戦争そのものの形態も様変わりした今の国際社会で同じことが起こるとは必ずしもいえませんが、気がかりな動きは少なくありません。たとえば、トランプ米大統領は5月14日、米FOXビジネスのインタビューで「cut off the whole relationship(with China)(中国との断交)」を口にしました。外交上のブラフとか大統領選対策という側面もありますが、ただでさえピリピリしていた米中関係が、コロナ禍を機にいっそう先鋭化。日本も日系企業の中国“脱出”のために2400億円もの予算を組みました。「一帯一路」経済圏を目指す中国と日米、EUとそこを脱して昔の連邦復活を目指す英国といった、各国や地域の「分断」が始まっているようです。
少し前に成立したTPP(環太平洋パートナーシップ協定)、EPA(日EU経済連携協定)等も、当時から「ブロックではないか」と警戒する声もきかれました。自由貿易とは真逆の流れが加速すれば、90年前と同じ歴史が紡がれないという保証はありません。