歴史は繰り返す

この先行き不安に対する答えは、「歴史は繰り返す」という格言の中にあるかもしれません。科学やテクノロジーの進化とは裏腹に、それを生み出しているはずの人や人の集団の心理・行動がそうやすやすとは変わらないことが、この格言を裏付けているように思います。

感染症のパンデミックは過去に何度も起こりましたが、中でも過去最大規模の感染症の一つがスペインかぜ。第一次世界大戦のさなかの1918年に流行りはじめたこの疾病は、少なく見積もっても2500万人以上という膨大な犠牲者が出たため、第一次大戦そのものの終結を早めたと言われているほどです。

それだけではありません。パンデミック研究の必読書であるA・W・クロスビー『史上最悪のインフルエンザ』(みすず書房)の記述には、スペインかぜとその後の歴史の相関が示唆されています。

1918年から19年にかけて話し合いが持たれたパリ講和会議。19年春のパリで米・英・仏・伊の4首脳会談に臨んだウィルソン米大統領は、出席者の中で唯一、戦敗国であるドイツには賠償金をかけないというスタンスでした。ドイツに過大な負担をかけることは、世界の平和秩序に悪影響を及ぼすとの判断からです。ところが、ウィルソンはその持論を捨てて他国の首脳に追従、ドイツは巨額の賠償金の支払いを課せられてしまいます。

スペインかぜと世界大戦の関係

なぜ、そうなったのか。パリにまだ蔓延していたスペインかぜに、よりによってウィルソン大統領が感染してしまったのです。前掲書によると、ウィルソンが感染後に突然、人が変わったようになったことを、多くの人が証言しています。

「そのうち彼の声はしわがれ始め、次第にひどくなっていった(中略)やがてウィルソンはほとんど歩けなくなった。体温も39.4度にはね上がり、(中略)またその症状があまりに激烈だったために、グレイソン(主治医・編集部注)は当初、大統領は毒を盛られたのではないかと疑ったという」「世界で最も重要な人物の運命は、グレイソンの手の中で絶たれてしまう可能性すらあった」(ともに前掲書238ページ)

同書からは、ウィルソン大統領の判断がウイルスの攻撃によって捻じ曲げれ、最終的に巨額の賠償金がドイツに課せられてしまったことが伺えます。当時の米国大統領の体を激しく蝕み、それまでの主張をひっくり返させたというわけです。

このときドイツを再起不能寸前に追い込んだ重荷と、それに対するドイツ国民の不平不満が、のちにヒトラーが歴史の表舞台に経つ土壌となったことは言うまでもありません。疫病はこうした形でも歴史の行方を左右するのです。