高1で1カ月アフリカ・セネガルへ渡り、高2でヒッチハイク日本一周

谷口君の原体験となったのは、野球部での大けがで腰を痛め、中学校生活の半分以上を車椅子で過ごしたことだ。

「けがで学校での立ち位置が、ガラッと変わってしまったと感じました。車椅子の車輪が道の溝に引っかかって転んでしまうことが何度かあったのですが、誰も助けてくれませんでした。思うように動けない不自由さと周囲の無関心がつらかったですね」

幸運なことに2年後には完治し、自由に動けるようになった谷口君。高1の夏には、車椅子生活で体験した弱者の立場から貧困問題に興味を持ち、一念発起してアフリカ・セネガルへ渡った。

オフィス内では、谷口君が最年少。現在、社員は20人ほど
撮影=干川 修
オフィス内では、谷口君が最年少。現在、社員は20人ほど

「貧困ってどんなものかを知りたくて、漠然とアフリカに行こうと思い貧困立ちました。自分でいろんなサイトを片っ端から調べ、偶然知り合った日本人が招いてくれたのがセネガルでした」

夏休みの1カ月間、セネガルの一般家庭に泊めてもらい、現地の人々と同じ日常を過ごした。

「日本と同じくらい近代化している都市部でも、セネガルの人は困っている人を見ると、何の迷いもなく助けの手を差し伸べていました。貧しい人を見ると、食べ物を施すだけでなく路上で一緒に食べたりするんです。車椅子で味わった孤独感がよみがえり、彼らは日本より、精神的にはずっと豊かに生きていると感じました」

帰国後に谷口君が向かったのは、ホームレスが集まる場所だった。道行く人が彼らを見て見ぬふりをすることに違和感があり、放課後に会いに行くようになったという。彼らを支援しようとNPOを設立し、約100人の社会復帰を手伝った。だが、一人ひとりに対応するやり方では、いつまでたってもすべての人を救いきれないと限界を感じた谷口君は、ITの力で、根本から社会の問題を解決できないかと考え始めた。

「高2の夏、まず日本にはどんなITビジネスがあるのかをこの目で確かめようと、ヒッチハイクで日本を一周しました。そこで中国人の起業家と出会い、インターンをさせてもらうことになって、上京したんです」

慶應大AO入試で1次選考に合格したが、2次選考は親に黙って欠席

こうした行動について、両親はどう受けとめていたのだろう。

「最初は反対されました。でも、車椅子生活で苦しんだ僕が、元気になって活発になったことにホッとした思いがあったのか、最後は僕の意思を尊重してくれました」

せめて大学だけは行ってほしいと言われ、慶應義塾大学のAO入試で1次選考に合格したものの、2次選考は親に黙って欠席したという。

「僕のこれまでの経験値は、大学で学ぶことよりはるかに大きいと自信を持って言えるし、仕事をするうえで必要性を感じてから行くのでも遅くはないと思います」

谷口君を支えているのは、車椅子生活中に出合った革命家のチェ・ゲバラの映画だという。

「自分も放っておけない状況を見過ごさずに戦う人間でありたい。誰もがいつでも仕事を見つけて働け、生きていける社会をITで実現できたらと思っています」